基本特許を巡る「発明者は私だ」

 開発者に研究ノートなどを詳細に付けることを求める企業は多いだろう。発明日の特定は、こうした開発者による記録や記憶に依存するところが大きい。これまで米国では、二つの発明者が同じ技術で競合した場合、先に発明した開発者を特定する「インターフェアレンス」という手続きが必要だった。

 この手続きには、多額の費用と長い期間がかかる上、結果によっては、せっかくの特許を失う懸念があった。しかも、この異議申し立て手続きは、珍しいことではない。大手企業であれば、その多くが多かれ少なかれ真の発明者の座を争う手続きを常に抱えているといわれるほどだった。

 中でも有名なのは、「マイコンの発明者」を巡る1990年代の争いである。この争いは、米Texas Instruments(TI)社と、米国の個人発明家であるGilbert Hyatt氏の間で起きた1)

 Hyatt氏によるマイコン特許(米国特許番号4,942,516)は、1990年7月に成立。同氏は、これをマイコンの基本特許として多くの企業にライセンス使用料の支払いを求めた。この特許は、ほとんどのマイクロプロセサや1チップ・マイコン、DSPが抵触する内容だった。

 マイコンは、エレクトロニクス産業の基盤を構成する大きな要素。その影響は大きい。当時の報道によれば、Hyatt氏の要求に応じた企業は多く、同氏は巨額のライセンス料を得たと言われている。

 このHyatt氏の動きに異議を唱えたのがTI社だ。同社は「私こそマイコンの父」とインターフェアレンス審査を米国特許商標庁に求めた。1991年3月に始まった手続きは、結論が出るまで実に5年を要している。1996年5月にTI社を発明者とする決定を特許庁長官が下した。

左は、米国で成立したキルビー特許(米国特許番号3,138,743)で使われているICの配線方法に関する図。右は、Robert Noyce氏によるプレーナ特許(米国特許番号2,981,877)から抜粋した図。二つの技術のどちらがICの発明かを巡る争いがあった。
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 マイコンの基本特許の争いからさらにさかのぼること30年前の1960年代には、IC(半導体集積回路)の発明者を巡る争いも繰り広げられている。2000年にノーベル物理学賞を受賞したTI社のJack Kilby氏と、米Intel社の創業者であるRobert Noyce氏(当時は、米Fairchild Semiconductor社)というエレクトロニクス業界の礎を作った二人の発明が争いの対象だった(詳しくは、関連記事「キルビー特許訴訟:空を飛ぶ配線(前)」「同:空を飛ぶ配線(後)」。

参考文献
1)横田,浅見,小林,「マイコンの発明者は私だ」,『日経エレクトロニクス』,1991年6月24日号,no.530,pp.101-120.