日本の電機メーカーや半導体メーカーが苦しい中、なぜ、日本企業が米Apple社や米Google社に後れを取ったのか、敗因については、もう十分に分析されていると思います。

「日本企業はハードは強いけれど、ソフトは弱い」
「ハードを売るための標準化など、売るための仕組みを作ることが弱い」
「ハードを売るための環境作りやソフト企業との連携が下手」

 結局のところ、日本メーカー、日本の技術者は、何か仕様が決まったものを高品質に作ることは上手だけれども、何を作ったらいいか、企画、提案、普及させるのは苦手だった。また、デザインも含めて、新しいライフスタイルを提案することもうまくできなかった。

 「WALKMAN」やデジタルカメラといった、新しいハードウエアを世に出したのは日本メーカーだったわけですが、今や、ハードウエアだけでは不十分。インターネットを駆使して、コンテンツを普及させるビジネスモデル提案したり、それを実現するためのソフトウエアを提供することが必要になっている。

 日本企業、日本人ができなかったというのは、言いすぎですね。グリーやディー・エヌ・エー(DeNA)のように、オンラインゲームでソフトウエアからコンテンツの配信、課金モデルまで自ら立ち上げ、収益を上げている、新興企業もあります。

 むしろ、問題は、かつて大成功をおさめた、歴史も伝統もある、大手の電機メーカーが、IT技術を駆使し、ハードウエアとソフトウエアを融合するような、新しいビジネスに追随できなかったこと。

 どうすれば日本のエレクトロニクスが復活できるかを、企業や大学の技術者と議論をすると、次のような嘆きをよく聞きます。

 「自分は技術好きでやってきたので、ビジネスとかを考えろと言われても、苦手なんだよな。そういうのが嫌いだから、技術者になったのに。」

 この言葉は、今の日本の電機メーカーの苦しさを象徴しているような気がします。

 今や、パソコン、テレビ、デジタルカメラなど、多くのエレクトロニクスの製品のスペックは十分に高くなりました。もう、画素数や性能といった、製品のスペックを上げても、なかなか消費者に対価を払ってもらえない。

 その結果、製品がコモディティ化し、アジア企業などとの価格競争に巻き込まれています。結局、単にハードウエアのスペックを上げる技術の開発をするだけでは、ダメになってきている。

 むしろ、新しい製品のコンセプト、ユーザーの新しい経験、いわゆる、ユーザー・エクスペリエンスを提案する必要があるのでしょう。ところが、これは、技術ばかりを考えている人には難しい。

 人がどのような新しい経験に価値を感じるかを理解するには、専門的な技術の知識と、いわゆるリベラルアーツ、社会科学や人文科学の知識を総動員することが必要でしょう。

 実験室にこもっているのではなく、様々な人と接し、社会の多様な側面と接してきた人が求められているのです。多くのハードウエアがコモディティ化している現在は、技術だけを追求してきた人には、技術を提案することも難しくなっているのかもしれません。

 求められる技術者像は、専門的な技術力が前提条件にはなりますが、技術の専門的な知識に加えて、若いころから、社会の様々な出来事に興味を持ち、様々な本を読んだり、芸術に触れたり。技術力に加えて多彩な総合的な能力が問われる時代になっているのでしょう。

 企業では、ともすると、技術者は技術に没頭すれば良い、という風潮もあります。しかし、今までは技術に没頭することが強みでしたが、これからは弱みになるのかもしれません。技術者のみなさん、今からでも遅くはない。実験室にこもっていないで、外に飛び出すことから始めたらどうでしょうか。