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一転攻勢、反撃ののろし

雌伏の時代を乗り越えた執念の物語(第5話)

2013/05/24 00:00
河合基伸=日経エレクトロニクス
出典:日経エレクトロニクス2006年5月22日pp.100-102 (記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)

 冬の時代が続いた垂直記録の研究開発。原理を提唱した岩崎俊一氏(現・東北工業大学 理事長)の教え子らが、その火を絶やさぬよう、大事に大事に灯し続けた。国内のHDDメーカーに就職した岩崎研究室の学生は、それぞれの企業で中核の研究者として育つ。“二度目の春”が近づいていた…。

 2000年4月10日,朝から雪がちらつくカナダ東部の街トロントのRoyal York Hotel。ここで,垂直記録方式の反撃ののろしが上がる。

 「なんだ,このすごい人だかりは。何かあったのか?」

2000年4月に開催された国際会議「Intermag2000」では,日立製作所などによる「Possibilities of 40Gb/in2 Perpendicular Recording」と題した講演に大勢の研究者が詰め掛けた。
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 Royal York Hotelでは,磁気関連技術の国際会議「Intermag2000」が開催されていた。朝一番目の発表を控えて足早に会場へ向かう日立製作所の高野公史の目に飛び込んできたのは,部屋に入りきらないほどの研究者の群れだった。

 120~130人しか入れない部屋に参加者が押しかけ,騒然とした雰囲気が漂っていた。何とか会場に潜り込もうと,座席の間の通路に座る者もいたほどだ。

 「いやあ困ったなあ。これから発表なのに,会場に入れないじゃないか」

 実はこれだけの研究者を集めた張本人は,人だかりに驚いている高野だった。詰め掛けた研究者たちのお目当ては高野の発表だったのである。

 Intermag2000に先立つ4月5日,日立製作所は垂直記録方式を用いて面記録密度52.5Gビット/(インチ)2での記録再生を実証したと発表した。報道関係者を集めた発表会には,垂直記録方式を生んだ岩崎研究室の後を継ぐ東北大学 電気通信研究所 教授の中村慶久や,秋田県高度技術研究所 所長の大内一弘も共同研究者として姿を見せた。

再び研究開発の最前線へ

 この快挙を成し遂げた研究グループのリーダーで,集まった記者たちへの説明役を任されたのが高野だった。高野らの成果は,新聞やインターネットを通じて,瞬く間に世界を駆け巡った。Intermag2000の時ならぬ人だかりは,その真偽を見定めようと押し寄せた研究者たちだった。

 日立製作所が公表した数値は,研究者たちの目を覚まさせるに十分だった。52.5Gビット/(インチ)2は,直前に米Read-Rite Corp.が長手記録方式で実現した50.2Gビット/(インチ)2をわずかながら上回る。それは取りも直さず,垂直記録方式が長手記録方式の最高記録を初めて超えたことを意味していていた。理論上は1Tビット/(インチ)2すら実現できると見なされながら,一向に実用化への道筋が見えなかった垂直記録方式が,再び研究開発の最前線に返り咲いた瞬間だった。

 このとき,垂直記録方式の天下はわずか1日で終わった。日立製作所の報道発表の翌日,富士通が56.1Gビット/(インチ)2を長手記録方式で実証したことを報告する。

 それでも日立製作所らの発表が与えた衝撃はいささかも衰えなかった。10年にわたって日陰の存在だった垂直記録方式が長手記録方式と抜きつ抜かれつのデッド・ヒートを繰り広げるなど,誰が想像しただろうか。

 高野本人は,自らの成果が与えた予想以上の反響に驚いていた。Intermag2000の発表後の質疑応答では,それまでHDD業界を牽引してきた米IBM Corp.の研究者から細部にわたる質問をしつこく受けたという。発表が終わってもトロントにいる間中,高野は次から次へと研究者につかまり,根掘り葉掘り実験内容について聞かれることになる。

Intermag2000では,垂直記録方式と長手記録方式の双方が50Gビット/(インチ)2以上を達成した。
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肩の荷が下りた

Intermag2000で発表したHitachi Global Storage Technologies社(当時は日立製作所)の高野公史氏。(写真:柳生貴也)

 「いよいよ,これからだな」

 高野の発表を誰にも増して喜んだのは,高野の恩師であり垂直記録方式の生みの親である東北工業大学 学長の岩崎俊一だっただろう。岩崎は,あまりの人の多さに,高野が発表した会議室に入れなかった参加者の一人だった。

 その代わりに発表を終えた高野を夕食にいざない,成果の詳細を聞くとともに,いつもの冷静な口調で言葉を掛けた。その言葉は,研究から実用化へ舵を切った高野に対し,待ち受ける困難を無事に乗り越えてほしいと祈るエールのようだった。

 「これで,ようやく肩の荷が下りた」

 岩崎は高野が上げた成果に,心底胸をなで下ろしていた。1977年に垂直記録方式の基本的な考え方を発表してから23年。発表直後に一度は盛り上がったものの,垂直記録方式の研究は1980年代後半から長い雌伏の時代に入ってしまった。その間の労苦を教え子が氷解してくれた。岩崎は来るべき第2の研究ブームを予感して顔をほころばせた。

 事実,高野の発表は,HDD業界の関心を再び垂直記録方式に引き寄せた。9カ月後の2001年1月上旬に米国テキサス州で開かれた磁気関連技術の国際会議「The 8th MMM-Intermag Joint Conference」では,垂直記録方式の論文数は倍増し,関連するセッションには数百人が入れる大会場が用意された。(文中敬称略)