肩の荷が下りた

Intermag2000で発表したHitachi Global Storage Technologies社(当時は日立製作所)の高野公史氏。(写真:柳生貴也)

 「いよいよ,これからだな」

 高野の発表を誰にも増して喜んだのは,高野の恩師であり垂直記録方式の生みの親である東北工業大学 学長の岩崎俊一だっただろう。岩崎は,あまりの人の多さに,高野が発表した会議室に入れなかった参加者の一人だった。

 その代わりに発表を終えた高野を夕食にいざない,成果の詳細を聞くとともに,いつもの冷静な口調で言葉を掛けた。その言葉は,研究から実用化へ舵を切った高野に対し,待ち受ける困難を無事に乗り越えてほしいと祈るエールのようだった。

 「これで,ようやく肩の荷が下りた」

 岩崎は高野が上げた成果に,心底胸をなで下ろしていた。1977年に垂直記録方式の基本的な考え方を発表してから23年。発表直後に一度は盛り上がったものの,垂直記録方式の研究は1980年代後半から長い雌伏の時代に入ってしまった。その間の労苦を教え子が氷解してくれた。岩崎は来るべき第2の研究ブームを予感して顔をほころばせた。

 事実,高野の発表は,HDD業界の関心を再び垂直記録方式に引き寄せた。9カ月後の2001年1月上旬に米国テキサス州で開かれた磁気関連技術の国際会議「The 8th MMM-Intermag Joint Conference」では,垂直記録方式の論文数は倍増し,関連するセッションには数百人が入れる大会場が用意された。(文中敬称略)