山積する課題

 念願の試作機はできたが,開発を率いた三浦義正の心は複雑だった。試作機の開発と同時に,解決が難しそうな課題が浮き彫りになったからだ。例えば,試作したHDDは外部から加わる磁界に対して極めて弱かった。磁石などを近づけると,その磁界の影響を受けた記録ヘッドが記録媒体の磁化を消去してしまう「ヘッド・イレージャ」と呼ぶ現象に頭を悩ませた。外部磁界の影響を減らすためには,筐体の全面に厚くて重い鋼板を使わざるを得なかった。

 接触記録ならではの壁も立ちはだかった。Censtor社の技術を使ってヘッドと記録媒体の接触力を弱めているとはいえ,HDDを使い続けるに従いヘッドの先は徐々に摩り減っていく。ヘッドの摩耗で生じたゴミは,密閉したHDDの筐体の中でどこへ行くか分からない。これが故障の原因になるかもしれないという不安は,いつまでもぬぐえなかった。

 これらの課題を解決するメドは結局立たなかった。ここに力を費やすよりも確実な高密度化の手段が見えていた。1989年末に米IBM Corp.が1Gビット/(インチ)2の実証に用いたMRヘッドやPRMLである。富士通では垂直記録方式と並行してMRヘッドを研究していた。このうち,実用化へのレールに乗ったのはMRヘッドの方だった。三浦らは垂直記録方式を用いたHDDの事業化を断念せざるを得なかった。苦労して試作した1.8インチHDDは,お蔵入りになった。

 三浦にとって何より心残りだったのは,試作の中で見つけた課題を他メーカーの研究者たちと共有できなかったことである。すぐに学会で発表したかったが,Censtor社との契約に配慮して口を閉ざし続けた。

 「課題を公表して解決策を議論していたら,もっと早く垂直記録方式を用いたHDDが世に出たかもしれない」。そんな思いが今でも三浦の胸にくすぶる。

 その後富士通は,長手記録方式の開発に全力を傾けた。その結果,垂直記録方式の実用化で,他社に遅れを取ることになる。