HDD業界の針路を定めた王者の技術

 「どうやったら,あんな高記録密度にできるんだ」

 1989年末,HDD業界を揺るがすビッグ・ニュースが舞い込んできたとき,東芝の田中は米国ミネソタ州にいた。米Universityof Minnesotaに留学中の身だった。田中が今なお思い起こすのが,週に1回程度,一緒に会合を開いていた米国HDD企業の研究者たちの驚きぶりである。英語に慣れ親しんだ田中でも,とても付いていけない勢いで,白熱した議論を繰り広げたという。

 HDDの面記録密度を1Gビット/(インチ)2に高めた――。IBM社の発表は,文字通りその後のHDD業界の針路を定めた。1Gビット/(インチ)2といえば,当時の最先端の製品と比べて15~30倍高い密度である。それをIBM社は,長手記録方式のままで成し遂げた。実際にこの密度でデータを記録再生し,十分低いビット誤り率を実現した。風当たりが強くなっていた垂直記録方式では,到底できない芸当だった。

 田中も,IBM社の快挙に驚きを隠せなかった。IBM社が使ったMRヘッドは,1960年代に提案されたもので,雑音が多く使い物にならないとされてきた。それを同社は信号処理方式のPRMLと組み合わせて実用的なS/N(信号対雑音比)を達成してみせた。HDDの技術開発を牽引してきたIBM社が利用した影響は大きかった。この後,HDDメーカーはこぞってMRヘッドやPRMLの採用に走った。

誤り率=データの再生時に,誤りの生じる確率。
MRヘッド=磁界の変化によって電気抵抗が変わるMR素子を利用した再生ヘッド。電流を流しておけば,磁界の変化を電圧の変化として読み取れる。MRはmagnetoresistive(磁気抵抗)の略。
PRML= partial response maximum likelihood。partial response変調方式とmaximum likelihood復号を組み合わせた方式。