恩師の元へ

 「やっぱり垂直は音が違うなぁ」

岩崎氏が試聴した,垂直記録方式を用いるHDDを搭載した携帯型音楽プレーヤー。東芝の田中氏らが試作した。(写真:柳生 貴也)
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 2005年春の学会発表に先立ち,開発したHDDを組み込んだ携帯型音楽プレーヤーの試作品を田中から手渡され目を細めたのは,東北工業大学学長の岩崎俊一である。田中の恩師であり,垂直記録方式の原理を提唱した人物だ。

 HDDの記録方式を従来の長手記録から垂直記録に変えたからといって,デジタル・データを扱う携帯型音楽プレーヤーの音が変化するとは思えなかった。それでも,無邪気に喜ぶ師匠の言葉に田中は大きくうなずいた。

 岩崎が喜ぶのも無理はない。岩崎が垂直記録方式を発想したのは,今から30年近く前である。長い年月をかけて,ようやく製品に結晶した自分のアイデアを目の前にすれば,自然と笑みがこぼれるのも当然だ。

 発表した当時,垂直記録方式は磁気記録媒体の密度を飛躍的に高める夢の技術ともてはやされた。世界各国の研究機関が我先にと開発を競った。しかし,既存の長手記録方式の改良が幾度となく進み,垂直記録方式の出番はいつまでたっても回ってこなかった。「次こそは垂直記録」といわれながらも,結局はずるずると先送りとなり,気が付けば30年の歳月が流れ去った。

 岩崎は17歳からの2年足らず,広島県江田島にある海軍兵学校で学んでいる。最も多感な時期に,指揮官としての心構えを徹頭徹尾たたき込まれた。

 垂直記録方式に日が当たらない苦しい時代にも岩崎の信念が揺らがなかったのは,江田島で学んだ「指揮官が先頭に立って困難に立ち向かい,部下を鼓舞して持ちこたえる忍耐力」のたまものである。垂直の火を消すまいと岩崎が陰に陽に尽力してきた結果,ようやく悲願の実用化にこぎ着けた。