3年ぶりにTech-On!の画面に戻ってまいりました。日経エレクトロニクスの誌面づくりに携わるのは5年ぶりです。再び副編集長、通称デスクという立場で記事をお届けしていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 久しぶりに雑誌の記事の査読をしたら、その長さと濃さに圧倒されました。それでも昔取った杵柄で、何度か読んでいると、どこをどう変えた方がもっと分かりやすくなるとか、どういう情報が足りないかなどが、次第に頭に浮かび上がってきます。それを記者に伝えて加筆・修正を繰り返すことで、原稿の品質を磨いていくわけです。

 この仕組みが有効なのは、何も私が記者より優れた書き手だからではありません。記者とは違う視点が入ることで、記事を客観的に見られることが大きいかと思います。ずっとその原稿のことばかり考えている筆者は、記事を一度しか読まない普通の読者の新鮮な視点を、いつしか失ってしまいがちなのです。

 今回の記事の作業が一段落して、再び懐かしい感覚に捕らわれました。自分がこんなにもスムーズに原稿を仕上げられるのは、あくまでも記者の力があってこそだと。

 私は記者の時代、締め切りをなかなか守れませんでした。一度は提出期限を過ぎているのに原稿をどう書いていいのか分からなくなって、上司に一晩中付きっきりで指導を受けたこともあります。

 ところがデスクになってからは、こうした悩みとは無縁になりました。たとえ自分が書き直す場合でも、すらすら文章が出てくるのです。これが私の成長のおかげでないことは、その後に書き手として特集記事を任されたとき、再び「書けない症候群」に陥った経験からも明らかです。

 今では、こう思っています。記者として一から記事を書く場合、そこには文字通り無限の書き方があります。どういう一文で書きおこすか、集めた材料をどんな順番で読者に見せていくか、聞き慣れない言葉の説明にどの段階でどれくらいの文章を費やすべきか…。ああでもない、こうでもないと考えながら書いているうち、いつしか道に迷い、どれが正しい方向なのか、分からなくなってしまうのです。

 ところがデスクとして記事を読む場合は、こうした心配はありません。数多の選択肢の中から、記者が選んだ確固たる道筋があるからです。もちろんそこには穴があったり、曲がりくねっていたりもします。けれども、それを修復する作業は、真っ暗闇の宇宙で行方も見えずに足掻くよりもずっと楽な行為なのです。

 これまで世になかったものを一から作り出す製品作りにも、おそらく記者と同質の苦労があるのだろうと想像しています。そして、時として読んだこともない原稿が突然現れ、デスクの目から鱗が落ちることも。