今回紹介する書籍
題名:看見
編者:柴静
出版社:広西師範大学出版社
出版時期:2013年1月

 今週も中国の人気ドキュメンタリー番組「看見」の司会者・柴静の著書『看見』をご紹介する。

 本書の中には、2002年の冬に中国で大流行し700人以上の死者を出したSARS(新型肺炎、中国では「非典型肺炎」略して「非典」と呼ばれることが多い)、2008年汶川大地震、北京オリンピックなど日本でも知られた大事件についてのみならず、日本ではある種のキワモノ的に扱われることの多かった小さなニュースにも光を当てている。また、もちろん日本では報じられることもほとんどなかった一見小さな事件も取り上げている。

 今週は比較的日本人にもなじみのある事件に関する章を読み解いていこう。

 まずはSARS報道に関する記述から。柴静はある意味SARS報道により現在の地位を築いたと言ってもいいだろう。本書のサイト上でも柴静を「SARS問題を初めて距離0の位置から報道した記者」と謳っており、SARS報道での活躍が彼女のその後のジャーナリスト人生を決めたのである。

 彼女は、「新聞調査」という番組に移ったその日の夜にプロデューサーに「自分にSARSの報道をさせてくれ」という電話を入れている。するとプロデューサーはまさにSARS報道に関する会議を開いているところだという。柴静はもう待ちきれなかったのだ。すでにSARSが議論の対象になってから数カ月たっていたにもかかわらず、まだメディアは口をそろえて「慌てるな」というばかりだった。だが、本当にそれでいいのだろうか。彼女の住んでいるマンションの下で軽食を売っていた女性が沈んだ声で柴静にこう言った。「テレビ局に勤めているんでしょ? SARSはいったいどうなっているの?」これを聞いて彼女は考えた。将来自分が子供を持った時、子供に「ママはSARSの頃、何をしていたの?」と聞かれたときに「ママはね、テレビを見ていたのよ」と答えるわけにはいかない、と。彼女はテレビを見る側ではなくテレビで報道する側なのだから。

 柴静は電話を切った後、プロデューサーにメールを送る。「行ってもいいよね?」返事はなかった。彼女はさらに「10分後に着きます」とだけメールを打ち、さっそく会社に向かった。

 新しい同僚たちにあいさつするまもなく、状況を確認するが情報がない。そこで彼女はそのまま現場へと向かう。彼女は衛生部長(「部長」は日本の大臣にあたる)や北京市長に取材を申し込もうとするが連絡が取れない。そこで彼女は病院へ向かう。しかし、当時は防護服はもちろんなく、外側が滑るような素材のジャケットを着てそれでウィルスから「防護」した、と考えているような状態だったという。

 このような調子で、病院で彼女はさまざまなずさんな環境を目にする。患者のいる場所と、「安全」とされている場所が単に線を引いて区切っただけだったり、患者を運搬する医療従事者が防護服を身に着けていなかったり。そのうちにこの病気の恐ろしさがわかり始める。その後は、フィルムも消毒してから編集に回すなど厳重な対策が取られたという。

 SARSの流行が始まったころの病院の対応については、批判がなされているが、本章ではむしろSARSにまつわる人間秘話のようなものに焦点を当てている。亡くなった看護師の家族への取材など、ヒューマンストーリーを中心に構成されている。と言って、本書が決して情緒的な見方のみを採用しているわけではないことを、次週は一見単なるキワモノニュースに見える「脚フェチ(女性の脚のみを性的嗜好の対象とする人のこと)のための動物惨殺ビデオ事件」を扱いご紹介する。