ホンダが創業時からの「夢」とする航空機事業。その夢を受け継ぎ、「HondaJet」として叶えたのが、米Honda Aircraft社 社長兼CEOを務める藤野道格氏、その人だ。計画では、2012年中に量産を始め、2013年後半に供給を開始する。そんな同機の開発は、常識との闘いの連続だった。藤野氏が手掛けてきた技術開発の真髄に、日経ものづくりが迫ったインタビューの第2回。(聞き手は日経ものづくり編集長 荻原博之)

 ホンダの飛行機プロジェクトが立ち上がってから約10年後、私がプロジェクト・リーダーになったときには、毎日ミーティングを開いて議論し、多くのメンバーの意見を聞きました。ところが、これを半年くらい続けても、何も生まれないんです。毎回、みんな言いたいことだけを言っておしまい。そこで、私は方向を180度転換し、ミーティングをやめることにしました。そして自分の信念と経験に基づいて、私自信がプロジェクトにとって正しいと思うことをやるように変えたんです。

ふじの・みちまさ 1960年生まれ。1984年東京大学工学部航空学科卒、同年本田技術研究所入社。1986年から飛行機開発に携わり、1997年プロジェクト・リーダーに。2005年米Honda R&D Americas社副社長、2006年米Honda Aircraft社社長に就任し、現在に至る。(写真:尾関裕士)

 よく考えてみると、飛行機の開発というのはコンセンサスだけで決めていくような性格のものではありません。殊に飛行機においては、雑談の中から偶然革新的な飛行機が生まれる、というようなことはまずないと思います。

 前回申し上げたように相反する設計要件を実現していかなければなりませんから、何より判断力や決断力が必要になります。だからこそ、私は自分の造りたいと思う飛行機を思い描き、それを実現するんだという強い信念の下、自分の物差し、自分の価値基準で進めていこうと開発の考え方を切り換えたのです。

 結果的に、このマネジメント・スタイルがあの形を生むことへとつながっていきました。コンセンサスだけを得ながら進めていたら、あの形には到達できなかったと思います。

 このプロジェクトは1986年に立ち上がり、2002年に論文が認められ、そして2012年に量産を始めるといった具合に四半世紀にわたるものです。当然、その間にはいろいろなことがありました。事業化のメドが一向に立たない、会社からはアウトプットすら期待されない、会社にも世の中にも貢献していない…。自分は一体、何をやっているんだろうと、思い悩んだ時期が何度もありました。