タイトル

 マイコンのCMOS化路線をめぐって、米Motorola社と日立製作所の関係に生じた亀裂。それを決定的にしたのは、日立が業界に先駆けて開発したもう一つの画期的な技術だった。牧本が開発を指揮した「ZTAT(Zero Turn Around Time:ジータット)マイコン」だ。開発のきっかけになったのは、1981年に日立 武蔵工場の副工場長に就任した牧本が、就任から間もなく直面したトラブルである。

 ある日、社内のVTR工場の幹部から牧本に電話が掛かってきた。「VTRの制御用マイコンのプログラムにバグが見つかった。VTRの出荷に影響する可能性があるので、マイコンを大至急作り直してほしい」という。こうした要求は「ICBM(弾道ミサイル)と呼ばれていた」(牧本)。本来の窓口になるはずの営業担当者を飛び越えて、幹部から幹部へ、というラインでいきなり降ってくる無理難題だからだ。当時の日立にとって、VTRは稼ぎ頭の事業である。マイコンという一部品の不具合でVTRを出荷できなくなる事態は、何としても避けなければならなかった。

 当時のマイコンは、プログラム格納用メモリをマスクROMとして実装していた。TATは数週間から1カ月ほど。このため、完成品のプログラムにバグが見つかった場合、一から作り直すのは大変な作業だった。しかも、そうしたバグは、VTRなどの最終製品を「かなり作り込んだ段階で明らかになることが多い」(牧本)。このやっかいな問題にどのように対処すべきか。当時のほぼ唯一の処方箋は、マイコンのTATをできる限り短くすること、すなわち「Q-TAT(quick-TAT)」を実践することだった。実際、VTR制御用マイコンの不具合には、Q-TATを徹底することで何とか対処することができた。

 その後も、牧本のもとにはマイコンの不具合を訴える“ICBM”がひっきりなしに飛来した。そのたびにQ-TATを繰り返すやり方には限界がある、と牧本は感じるようになった。その抜本的な解決策として牧本たちマイコン担当者が着想したのが、マイコンのプログラムをユーザー側で書き換え可能にすること、すなわち“フィールド・プログラマブル(field programmable)”にすることだった。そのためには、マイコンに混載するROMをEPROMのメモリ・セルに置き換え、プログラムを1回だけ書き込めるようにすればよい。「OTP(one time programmable)-ROM」という考え方だ。

 OTP-ROMを搭載するマイコンを、牧本は自ら「ZTAT」と命名した。ユーザーから見た場合のTATを、実効的に“ゼロ”にできるという意味を込めたのだ。日立製マイコンの新ブランドとして顧客に売り込もうと、商標登録も申請した。当時、デバグや試作に使うマイコンにEPROMを搭載する事例はあったものの、紫外線によるデータ消去を前提とする、セラミック・パッケージに封止した高価な製品が主流だった。大量生産を前提としていたZTATマイコンでは、プラスチック・パッケージを採用してコスト低減を図ることにした。