その哲学は、誕生から遺伝子に組み込まれている

 でも、ムラから出ない限り、頂きの向こうから大嵐が近づいていたり、逆に素晴らしい世界が存在したりする事実に気づくことはないのです。ムラを出て新しい風景を見たいと思うチェンジメーカーを支援する施設がHUB。この哲学の背景にあるのは、英国でHUBの原型が産声を上げた際の逸話です。

 最初のHUBは、2005年に英国ロンドンのイズリントン地区で生まれました。HUBの原型を作り上げたのは、社会的な課題をビジネスで解決する社会起業家たちです。

 キッカケはまさに偶然。とあるカフェに社会起業家たちが集まり、共同でオフィスを借りる相談をしていたときのこと。たまたま隣の席にいて話を聞いていた篤志家が彼らの話に興味を持ち、「私が資金を出すから、もっと広いオフィスを借りなさい」と投資をしてくれた。その後、欧米の著名な起業家たち、例えば英国の化粧品会社The Body Shop社の創業者であるAnita Roddick氏らが、HUBの理念に共感して様々な支援を始めたことで活動は発展したそうです。

 チェンジメーカーというのは、何も持っていないゼロの状態から新しい価値を生み出す人々。でも、新しい発想だからこそ、仕事をする場所や資金面のサポートを受けにくいという現実があります。単にワーキング・スペースを貸すだけではなく、資金調達や事業の発展を促す人的交流を提供するHUBの哲学は、誕生の逸話から遺伝子として組み込まれていると言えるでしょう。

 前回から紹介しているようにHUB Tokyoもその遺伝子を引き継いでいます。槌屋氏は、日本の起業家、特に社会起業家にはタフさが足りないと指摘します。資金調達でもなかなか自分たちの事業の特長をアピールできない。例えば、「環境保全や社会貢献に寄与しているエシカル(倫理的)な商品だから、高く買ってください」といった甘えがあるというのです。

 「すごく素晴らしいことを考えて実行しているチェンジメーカーなのに発信力が低い。この能力を上げていかないと、なかなか世界と結びついた大きな動きになりません。結構、これを実現するハードルは高いと考えています」(槌屋氏)。

 起業家たちのマインドが変わることで、投資家側の見方も変わってくる。その社会変革のエコシステムを新たに構築する支援をしたいという強い思いがHUB Tokyoの設立につながっています。世界の28都市に広がる「HUB」を名乗るためには、かなりハードな承認プロセスを経る必要があるそうです。日本で初めてHUBを設立した二人は、設立の意図について映像を作成したりしながら理解を求めたといいます。

「世の人は/われを何とも/言わばいへ/わがなすことは/我のみぞしる」

 シニア親父の私が大好きな言葉です。この坂本龍馬の句と言われる名言は、何だか勝手なことを奔放にやっているともとれますが、実はそうではない。幕末という時代の荒波の中で周囲の共感を得ながら、自分の意見を発信し、命がけで動いた人物の言葉だからこそ心に響くのでしょう。