もちろん、籠もったままでは面白くない。初期は、テレビ、中期はインターネット、後期はスマホ。全体を通してアニメとゲーム。全て技術のなせる技である。籠もって読書三昧。それなら、籠もった時間は有意義である。哲学者になるか、文学者になるかである。マンガにアニメにゲーム浸り。ここから、哲学者、文学者が出てくれば素晴らしい。それどころか、漫画家も、アニメ・クリエータも、ゲーム制作者も出てこない。ただ、時間を消費するだけである。
もちろん、引き籠もりには大家族、核家族、核分裂というファミリーから個へと社会の流れもある。この流れも農業から製造、サービスという一次産業から三次産業への変化が支えている。そして、この変化は交通の発展と通信の発展と言う技術革新の流れが底流にある。
一族から家族、家族から個まで分解された現代人は通信の新しい技術であるSNS(social network service)とクラウドを逆手に新たな連携に向かっている節もある。Twitter、Facebook、LineというSNS界のしのぎ、棲み分け、協業は、分解された個の行く末に直接的に影響を及ぼす。これが現状である。この先を考えてみたい。