1997年末。松下電器産業(現パナソニック)の光ディスク事業部では携帯型DVDプレーヤの量産に向けた調整が最終局面を迎えていた。試作機は完成した。エレクトロニクスショーにも出展した。しかし,まだまだ課題は山積みになっている。放熱対策,カラー液晶パネルの画質,EMI対策…。開発に携わる技術者たちは,寝ても覚めても携帯型DVDプレーヤのことが頭から離れない。年末には自宅にも試作機を持ち帰り,解決策を練るほど。そして,1998年が明けた。輝きとともに。
雪降る米子での苦悩を経て,スピンドル・モータの軸折れ事件は解決した。これと相前後して,浦入や宮崎が苦労した落下試験も何とか無事に通過する。既に正月は過ぎ去っている。
落下試験の終了は,量産にゴーサインが出たことを意味していた。この年の2月10日には製品が店頭に並んでいなければならない。期限は,もう1カ月を切った。工場には次々と部品が運ばれ,あとは生産ラインを動かすだけ。しかし,問題は尽きない。
「おい。スピンドル・モータはどないしたんや」
「全然,足りんやないか」
「いつ届くんや」
米子の事務所で山根は,電話が鳴るたびに戦々恐々としていた。
「はい,モータ社です」
「明尾やけど」
「あ,どうも」
「モータ,どうや」
「今,鋭意作業を進めてます」
軸折れ事件は解決したが,なかなか歩留まりは上がらず,半分しか良品ができない。
「こんだけできました」
「こんなん,全然足りんわ」
「分かりました。すぐ作ります」
届いたスピンドル・モータの数と同じ数の携帯型DVDプレーヤ。徐々に製品は姿を見せ始める。しかし,残る日数はわずか。陣頭指揮する四角の怒声が開発現場に響く。
「おい,お客さんだけには迷惑かけたらあかんで!」