1997年。松下電器産業(現パナソニック)の光ディスク事業部では携帯型DVDプレーヤの先行開発が着々と進んでいた。先行開発部隊の面々は,石川県にある同社の液晶事業部を訪ね,中核となるカラー液晶パネルに関する技術を入手する。電池,光ピックアップ,液晶パネル,電子回路…。開発期間に対する事業部長の叱責を乗り越え,設計仕様に関する企画書を完成させる先行開発部隊。同2月には,先行開発から実際の機器設計へと舞台を移す。少しずつ技術者が集結し始めた開発現場は活気が漂い始めていた。

「それ,ええやないの」

 1997年5月。松下電器産業の光ディスク事業部では,携帯型DVDプレーヤの開発部隊がデザイン担当者を交えて何度目かのデザイン検討会議を開いていた。このころ既に固まりつつあった携帯型DVDプレーヤの外部デザインを詰めるのが目的である。

「5.8インチ型の液晶パネルを使って,CDジャケット・サイズを実現すると,全体的なデザインはこんな感じになると思います。前面のこの辺りに操作ボタンを配置して,背面に出力端子を…」

 幾つかのデザイン画に基づいてプレゼンテーションを進めるデザイン担当者。それに対する開発部隊からの意見が相次ぐ。

「なんかカッコええな」

「でも,そこの部分はきつそうや」

「そうするとこの辺のメカとか,基板の大きさを変更せんとあかんな」

 製品としての形が見え始め,沸き立つ開発部隊。自然と議論は盛り上がった。その時,盛り上がる議論を遮るかのように,同席していた事業部長の四角(よすみ)利和が口を開く。

「なかなかええやないか」

 一同が一斉に四角を見た。

「でもな…」

 四角は続ける。

「まだ,いろんな可能性を検討できるやろ。これやったら2年前のコンセプト・モックアップに負けとるで。携帯型はDVDプレーヤの目玉商品や。『これぞDVD』というデザインにしてくれ」

携帯型DVDプレーヤ開発の歴史
携帯型DVDプレーヤ開発の歴史
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