誰も知らない

 だが,このころ光ディスク事業部には,AV(オーディオ・ビジュアル)機器関連の事業部というのに,カラー液晶パネルを扱ったことのある技術者はいなかったらしい。当時のAV機器でカラー液晶パネルを使う製品といえば,まだカメラ一体型VTRやカーナビ,液晶テレビなどに限られていた。先行開発部隊にとっては,自然と液晶パネルの優先順位は低くなっていく。

「狭いな。ほんまにこのスペースに部品が入るんか」

「この部品は結構小っさくできそうやけど,その分あっちが入らへんな」

「でも,薄いから横長タイプやったら入りますよ」

「そうか。でもそうすると,こっちはどないすんねん」

 あちらを立てれば,こちらが立たず。正方形タイプと横型タイプの筐体形状には一長一短があり,どちらも想定する部品がなかなか収まらない。

 メンバーの議論は,打ち合わせのたびに紛糾した。

「電池は大丈夫なんか。Liイオンは性能がええけど,使うのは難しそうやで」

「そやな,Ni水素でいけるかどうか,検討せなあかんな」

「ところで,液晶パネルはどないするんや。うまいこと収まるんか」

「ちゃんとガラス1枚分のスペースを考慮して設計を検討しています」

「そうか。パネルをちゃんと収めれば,後はつなぐだけやし…。残る問題は画質やな」

 こうした話を繰り返していた矢先に,松下電器の液晶事業部から知らせが届く。名本らが以前から打診していた打ち合わせに,ぜひいらしてくださいという返事だった。先行開発部隊は連れ立って,液晶事業部の工場がある石川県へと向かった。(文中敬称略)