異なる風土

 当時の松下電器は,社内の組織制度としてまだ歴史ある事業部制を敷いており,カンパニー(社内分社)制には移行していない。1997年4月にAVC社として1つにまとまったAV機器関連の事業は,複数の事業部に分散していた。家庭用VTRやカメラ一体型VTRはビデオ事業部に,オーディオ機器はオーディオ事業部の管轄で,決してそれぞれの事業部間の風通しが良いといえる状況ではなかった。

 それでも,名本らはほかの事業部に教えを請う必要があった。携帯型DVDプレーヤは,据置型の知識だけで開発できる製品ではない。特に異なっていたのは,最大の特徴である映像表示用の液晶パネルやその周辺技術,そして電池駆動技術などである。こうした技術に関して,先行開発メンバーは限りなく素人に近かった。

 加えて,開発期間を長く取れないことが分かっている以上,なるべく社内で技術や部品を賄わなければならない。各事業部の訪問は,そのために必要なノウハウや部品の供給をお願いする意味もあった。

 だが,技術的な土地勘を持たない名本らにとって,目の前に立ちはだかる壁は思った以上に高い。とにかく,技術者レベルで気軽に情報交換できる環境ではなかったのだという。情報交換するためには,お互いの上司を通して許可を得て,それから日程を定め,会議室を決め…。事業部によっては,かなり官僚的な手続きを踏むことが要求された。こうした文化の壁は,先行開発だけでなく,製品開発の終盤まで開発部隊を悩ますことになる。