苦難の始まり
困難はありながらも,開発は順調に進んだ。開発が本格化してから半年以上が経過した1996年5月。光ディスク事業部で歓声が沸いた。
「来たで!」
「おーっ。これがDVDプレーヤの心臓部やな」
「これで本格的に試作機の開発に取り掛かれますわ」
開発を進めていたLSIの試作版がついに完成したことを告げる声だった。同年秋に計画している製品化に向けて,据置型DVDプレーヤの開発は大きな1歩を踏み出した。しかし,その歓声は苦難の始まりを告げる合図でもあった。
「規格が決まったばかりで,再生する映像ソフトもほとんどない。後々どんなソフトが発売されるか分からなかったし,それがどんなトラブルを引き起こすかも想定できない。LSIは,当時としては非常に大規模な回路を集積していた。それ故に『バグ』も多かった」
DVD技術部の技術責任者だった谷口は,据置型DVDプレーヤの開発を「トラブルだらけだった」と思い出す。
「またや。止まった」
「今度の原因は何や」
「よぅ分からん」
とにかく当時のDVDプレーヤ用LSIでは,ソフトウエアのバグ問題が頻発した。「発売までに何度LSIを作り直したか分からない」と振り返る谷口は,その後も最後までバグと格闘することになる。試作版のLSIが技術陣の手元に届いてから,技術陣を悩ませたのは技術的なトラブルだけではなかった。バグ問題が少しずつ収束に向かい,後は製品発表の手はずと量産体制を整えるばかりとなった1996年夏。彼らには,もう1つの課題が突き付けられることになる。