苦難の始まり

 困難はありながらも,開発は順調に進んだ。開発が本格化してから半年以上が経過した1996年5月。光ディスク事業部で歓声が沸いた。

「来たで!」

「おーっ。これがDVDプレーヤの心臓部やな」

「これで本格的に試作機の開発に取り掛かれますわ」

 開発を進めていたLSIの試作版がついに完成したことを告げる声だった。同年秋に計画している製品化に向けて,据置型DVDプレーヤの開発は大きな1歩を踏み出した。しかし,その歓声は苦難の始まりを告げる合図でもあった。

開発は始まったが…
開発は始まったが…
1995年10月に松下電器産業光ディスク事業部の事業部長として着任した四角利和氏。彼が率いる技術陣はまず据置型DVDプレーヤの開発に着手する。製品化に向けた苦難の幕開けでもあった。写真は当時の技術陣の様子。中央で指差しているのが四角氏。(写真提供:四角利和氏)

「規格が決まったばかりで,再生する映像ソフトもほとんどない。後々どんなソフトが発売されるか分からなかったし,それがどんなトラブルを引き起こすかも想定できない。LSIは,当時としては非常に大規模な回路を集積していた。それ故に『バグ』も多かった」

 DVD技術部の技術責任者だった谷口は,据置型DVDプレーヤの開発を「トラブルだらけだった」と思い出す。

「またや。止まった」

「今度の原因は何や」

「よぅ分からん」

 とにかく当時のDVDプレーヤ用LSIでは,ソフトウエアのバグ問題が頻発した。「発売までに何度LSIを作り直したか分からない」と振り返る谷口は,その後も最後までバグと格闘することになる。試作版のLSIが技術陣の手元に届いてから,技術陣を悩ませたのは技術的なトラブルだけではなかった。バグ問題が少しずつ収束に向かい,後は製品発表の手はずと量産体制を整えるばかりとなった1996年夏。彼らには,もう1つの課題が突き付けられることになる。