急転直下の収束

 規格統一までには,国内外の大手家電メーカー,そして米国の映画業界を巻き込んだ激しい主導権争いがあった。それが最高潮を迎えたのは1994年の年末のことである。

 口火を切ったのは,CDプレーヤ規格の再演を期すソニーとPhilips社である。両社は共同で同12月16日に,記録容量3.7GバイトのDVD規格「MMCD(Multimedia CD)」をぶち上げた。

 明けて1995年1月26日には,東芝や松下電器産業など6社が共同で,記録容量5GバイトのDVD規格「SD(Super Density)」を発表する。AV機器に関する久しぶりの大型規格争いに「すわ『VHS対ベータ』の再燃か」と,マスコミは騒ぎ立てた。

 しかし,戦いが始まって9カ月,SD陣営とMMCD陣営の争いは,予想外にも短期間で収束することになる。1995年9月15日の夜。SD陣営とMMCD陣営は別々に東京都内で記者会見を開き,DVD規格の統一を表明したのだ。結局,ディスク構造と誤り訂正方式はSD規格の技術,記録符号化方式はMMCD規格の技術をそれぞれ持ち寄る内容となった。

 この「手打ち」によってDVDプレーヤは,製品化に向けて具体的に動き出す。両陣営のどちらが勝者だったのか。それは立場によって議論の分かれるところだろう。ただ,先駆けて製品化を実現し,最初に規格統一の恩恵を饗(きょう)することができたのは,SD陣営の家電メーカーだった。規格策定の主導権を握ったのはSD陣営。こうした見方が世の大勢を占めていた。

2陣営が規格争い<br>DVDの規格策定では,東芝や松下電器産業などが推す「SD規格」と,ソニーやオランダRoyal Philips Electronics社が推す「MMCD規格」が争った。1994年末~1995年夏にその争いが最盛期を迎える。
2陣営が規格争い<br>DVDの規格策定では,東芝や松下電器産業などが推す「SD規格」と,ソニーやオランダRoyal Philips Electronics社が推す「MMCD規格」が争った。1994年末~1995年夏にその争いが最盛期を迎える。
2陣営が規格争い
DVDの規格策定では,東芝や松下電器産業などが推す「SD規格」と,ソニーやオランダRoyal Philips Electronics社が推す「MMCD規格」が争った。1994年末~1995年夏にその争いが最盛期を迎える。
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