20日間の猶予

 血反吐を吐きながらも順調に進んでいた製品開発だったが,終盤に差し掛かって四角には引っ掛かるところがあった。それが「針飛び」の問題だった。彼は, 何とか製品化までに解決しようと開発現場にげきを飛ばしていたのである。それを,よりによってライバルであるソニーの社長に指摘された。

「四角君,20日間の猶予をやるからな,針飛びを解決してや」

「はい。分かりました」

 既に,針飛び解消の糸口は見つかりつつあった。そんな時期だっただけに,谷井からの電話は「渡りに船」ともいえた。彼の指示が日程的な「お墨付き」になるからである。しかし,四角の心中は穏やかではない。

「骨の髄まで悔しい,憎たらしいという気持ちになりました。ソニーの携帯型プレーヤについては」

 四角は続ける。

「ただ正直言って,大賀さんはすごいなと感じたのも事実です。経営トップがこれだけ商品にこだわる。幸之助さんもそうだったということを思い出しました」

 四角は2度ほど,松下電器の創業者の前に自らが開発した新製品を持参したことがある。

「そのときの姿が忘れられんのです。ほんまうれしそうに微笑みながら『ええのんできたなあ』言うて,新製品をなではるんですわ」

 谷井からの電話の後,四角の脳裏にはしばらく,大賀典雄と松下幸之助の姿がダブって映っていた。

 1985年夏。日本は前々年,前年に続き3年連続の猛暑に襲われた。暑い夏を待つかのように,針飛びの問題は解決し,世界最小のCDプレーヤは無事に市場にデビューすることになる。

 その一方で四角は「世界最小」と「世界初」の重みは天と地ほど違うのだということを痛感していた。世界初は永遠だが,世界最小はそのときだけのもの。すべての記録がそうであるように,いずれ誰かに破られる。

 「ソニー,許すまじ」。この思いを深く胸に刻んだ四角。だが実際にその機会を得るまでには,さらに10年の歳月を待つ必要があった。(文中敬称略)