夢のオーディオ機器

 当時,エアコンと並んで家電メーカー開発担当者の頭を熱くさせていた民生機器がもう1つある。

 「CDプレーヤ」である。

 ソニーとオランダRoyal Philips Electronics社の主導で,2年前の1982年10月に登場したこの民生用オーディオ機器は「夢のオーディオ機器」として家電メーカーの期待を一身に背負う存在だった。

 何しろ,それまでとはすべてが異なっていた。エジソン時代さながら,針でレコードの溝をなぞってアナログ信号を読み取っていたレコード・プレーヤに対し,CDプレーヤではレーザ光を使って,直径12cmのディスクに記録したデジタル・データを読み取る。「デジタル」という語感と雑音の少ないクリアな音。何もかもが新しく,そして刺激的だった。

四角利和(よすみ・としかず)氏
松下電器産業の光ディスク事業部長として,液晶パネルを搭載した携帯型DVD(デジタル・ビデオ・ディスク)プレーヤの開発を指揮した。AV(オーディオ・ビジュアル)機器の開発だけでなく,コンピュータ向けの相変化光ディスク装置「PD」や光磁気ディスク装置などの開発にも携わる。(写真:福田一郎)

 松下電器産業のディスクプレーヤ事業部でこの「夢のオーディオ機器」を開発していたのが四角(よすみ)利和である。「商品技術部 部次長」の肩書を持つ彼は,かつて「テクニクス」ブランドのレコード・プレーヤを開発した経験を買われ,CDプレーヤの開発では中心人物として商品開発の第一線で活躍していた。

 しかし,夢のオーディオ機器は滑り出しこそ好調だったものの,翌1983年に入るとパタンと売れ行きが止まった。同6月に入ると,新聞の紙面には先行きの不安を煽る言葉が躍り始める。「ソフト不足」「15万円~25万円と高価」。負の側面を強調する報道が繰り返された。

 1984年に入っても,なかなか好転の兆しは見えない。状況は,明らかにオーディオ・マニアを中心とする初期需要が一巡したことを示していた。

「どないしたもんかな」

 耐え難い暑さの中,四角は頭を抱えていた。ソフトが先か,プレーヤの普及が先か。新しいカテゴリの製品が登場したときには必ず生じる「ニワトリとタマゴ」の議論だった。四角だけでなく,CDプレーヤ市場に参入した国内大手家電メーカーの多くの担当者が同じ悩みを抱えていたはずだ。