「ライバルより一歩前に出る。そして世界で初めての製品を世に送り出す」――。このことに、こだわり続ける男がいた。どうしたら強敵に勝てるか。敗北から這い上がれるか。ともすれば失いがちな“勝利への執念”を持ち続けた日本メーカーの技術者を紹介しよう。
携帯型DVDプレーヤの開発
目次
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これは、まるで玉手箱のよう
華々しいデビュー。しかし,その裏側では,前年末から続く量産に向けた調整が最終段階を迎えていた。放熱対策や,液晶パネルのドット欠陥など,1997年は多く問題を抱えながら暮れた。大みそかに自宅にいることが我慢できず,頼み込んで出社した技術者も少なくなかったという。量産開始まであと2カ月ほど。1997年の…
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かわいそうで、かわいそうで
1997年末。松下電器産業の光ディスク事業部では携帯型DVDプレーヤの量産に向けた調整が最終局面を迎えていた。試作機は完成した。エレクトロニクスショーにも出展した。しかし,まだまだ課題は山積みになっている。放熱対策,カラー液晶パネルの画質,EMI対策…。開発に携わる技術者たちは,寝ても覚めても携帯型…
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おもろい、それや!
「いいアイデア浮かびましたわ」「ほんまか。どんなんや」ある日,開発メンバーの1人がニコニコと自説を展開し始める。「ディスクの回転を利用するんです」「ほう,回転な」「ディスクが回るやないですか」「ああ。それは分かった。その先をゆうてや」いかにももったいぶった言い方を残りのメンバーがせかす。
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お願いやから、壊れんといて
1997年夏。松下電器産業の光ディスク事業部では前年から開発が続く携帯型DVDプレーヤが次第にその姿を現し始めていた。同事業部の事業部長を務める四角よすみ利和が持つデザインに対する強いこだわりを反映しながら筐体のデザインを固め,その色をシルバーに決める。そして,この年の秋にはついに待望の試作機が完成…
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言いたくて、言いたくて
初夏の気配が色濃くなってきたころ,基板はようやく完成した。苦心の跡が残る名刺よりも小さな基板。液晶パネルには映像が映る。「すごいで。やったで。見てや」岩崎は満面の笑みで,上司や同僚に報告した。
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そんなもん言われんでも知っとる
1997年。松下電器産業の光ディスク事業部では携帯型DVDプレーヤの先行開発が着々と進んでいた。先行開発部隊の面々は,石川県にある同社の液晶事業部を訪ね,中核となるカラー液晶パネルに関する技術を入手する。電池,光ピックアップ,液晶パネル,電子回路…。開発期間に対する事業部長の叱責を乗り越え,設計仕様…
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実は、ええのんあるんですわ
「…そういうわけで,携帯型DVDプレーヤに使う液晶パネルを探してます。ただ,あまりコストは掛けられんのですわ。何かええのありませんか」名本らは訪問の趣旨を説明し,液晶パネルの現状を尋ねた。その問いを聞いた液晶事業部の担当者は,待ってましたとばかりに,ニコニコと微笑みながらこう言う。
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半年でやらんかい、半年で
1996年夏。松下電器産業の光ディスク事業部は,携帯型DVDプレーヤの先行開発に着手した。先行開発を担当した名本吉輝は,まず人員不足に悩まされる。その後,少しずつ人員は増えたが,土地勘のない分野の技術調査や事業部間の文化の違いなど,頭を痛めることばかり。その一方で,先行開発は着実に成果を上げていた。…
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回路屋がおらへんのです
まず加わったのは「メカ」部分の開発を担当していた山口修。その後,映像関連のいわゆる「絵作り」を担当していた岩崎栄次,そして電子回路関連の開発の中心となっていた中山修三などが先行開発に参加することになった。
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そこを何とかお願いしますわ
1996年夏。松下電器産業で据置型DVDプレーヤの開発が佳境に入りつつあったころ,開発を担当する光ディスク事業部では,もう1つのプロジェクトが胎動し始めていた。液晶パネルを備えた携帯型DVDプレーヤの開発である。そのキッカケとなったのは,事業部長の四角よすみ利和がある会議で発した開発開始の宣言。「1…
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もう始めんと間に合いまへん
液晶パネルを搭載した携帯型DVDプレーヤのコンセプト自体は,このウワサが流れる1年以上前から存在していた。それは,光ディスク事業部が設立され,四角が事業部長としてやって来る以前の話である。名本もそのコンセプト作りに一枚かんでいる。そのとき彼は,同部の前身であるDVD事業推進室の一員だった。
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何がほんまなんや?
2つの陣営が繰り広げたDVDの規格争いが終焉しDVDプレーヤの製品化で世界初を目指した松下電器産業(現パナソニック)。製品化直前に決まったコピー防止技術の組み込みやバグ問題が頻発したLSIの開発など,山積する多くの課題を乗り越え同社の開発陣は据置型DVDプレーヤで「世界初」の栄冠を勝ち取る。しかし,…
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おまえ、変なもん作ってるやろ
量産間際に生じた最大の難関。これを夜を徹して乗り越え,据置型DVDプレーヤの開発はようやくゴールを迎える。1996年11月1日には,ついに世界で初めてのDVDプレーヤの発売が国内で始まった。
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あのぅ、映像が止まってまうんですわ
1995年9月。2陣営に分かれて争っていたDVD規格の統一が成った。その後,国内外の大手家電メーカー各社は据置型DVDプレーヤの開発にまい進する。松下電器産業でこの機器の開発を指揮することになったのは携帯型CDプレーヤを開発した四角よすみ利和だった。彼は,新設の光ディスク事業部で事業部長に就任しDV…
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早よせい、とにかく早よせい
四角に対する周囲の人物評は,ほぼ1点に収斂する。とにかく「怒る人」。しかも,その怒り方は尋常なものでなかったようだ。 DVDプレーヤの開発で初めて四角の部下となった谷口は,当時を思い出しながら苦笑いする。
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あの男がやってきた
1995年,次世代AV機器「DVDプレーヤ」の規格競争が勃発した。東芝や松下電器産業などの6社が推進する「SD規格」と,ソニーなどが推進する「MMCD規格」。2つの規格が,真っ向からぶつかり合ったのだ。だが,激しい覇権争いの末に,規格は統一への道を歩み始める。そうなれば,後は製品開発競争。「世界初」…
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ソニー、許すまじ(下)
携帯型CDプレーヤをとにかく早期に開発すること。この目標に向けて,四角をリーダーとするプロジェクト・チームが立ち上がる。それを尻目に,ソニーの携帯型CDプレーヤは世の注目をさらっていた。
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ソニー、許すまじ(上)
松下電器産業(現パナソニック)が1998年2月に発売した液晶パネル付きの携帯型DVDプレーヤ「DVD―L10」。「持ち歩いて映像を見るユーザーなんていない」という周囲の声が強い中,新しい分野を切り開いた。「映像を持ち歩く」というユーザー体験は,スマートフォンやタブレット端末などで“いつでもどこでも”…