「まだこんなことが信じられているのか」。テレビのニュース番組を見ていてうんざりした気分になりました。東京都大田区の町工場が中心になって開発した「下町ボブスレー」を取り上げたニュースでのこと。「東大阪でも町工場が『まいど1号』という人工衛星を作って打ち上げたことがあった」と紹介されたのです。

 この番組の内容を信じる限り、ボブスレーは本当に大田区の町工場が開発しているようです。これに対し、まいど1号(SOHLA-1)は名目上は東大阪市の中小企業から成る東大阪宇宙開発協同組合(SOHLA、現 宇宙開発協同組合SOHLA)が開発したことになっています。しかし、実態はほぼ「宇宙航空研究開発機構(JAXA)が作った衛星」です。その事情を、日経エレクトロニクス雑誌ブログ「まいど1号の憂鬱」で取り上げました。

 このコラムで私は「(東大阪の企業は)衛星の構造体をJAXAから渡された図面に従って製作したり、衛星に使う一部のモジュールを納入したりした、というのが実態です。中には、外部のメーカーからモジュールを購入してそのまま納入した企業もあったようです」と書きました。まいど1号は、設計から開発、組み立て、試験、打ち上げまで、実際にはほとんどJAXAとその周辺の企業が担当しました。これを「東大阪の中小企業が協力して開発した」と呼ぶのはあまりに無理があります。

 それどころか、内実は「協力」とは程遠いものでした。まいど1号の当初の旗振り役だったアオキ 社長の青木豊彦氏は、SOHLAの内輪もめから、打ち上げの日を待つことなく組合から離れました。尽力した企業も、テレビ番組などで取り上げられていた企業とは少し異なっていたようです。まいど1号開発のJAXA側の責任者だった橋本英一氏は、アオキ、伊藤電子、八光電子工業、デュアル電子工業、シキノハイテックといった「SOHLAとの関係が薄い中小企業」の協力は評価していました。しかし、同氏の口から「まいど1号を開発したとしてメディアにたびたび取り上げられていたSOHLA組合員企業」の名前が出てくることは、なぜかありませんでした。

 まいど1号を運用していたのも基本的にはJAXAです。まいど1号はSバンド(2G~4GHz帯、実運用周波数は非公開)とアマチュア無線(受信周波数437.505MHz)の2種類の通信機器を搭載していました。2009年1月23日の打ち上げ後、Sバンドによる運用をJAXA、アマチュア無線によるデータ受信を大阪府立大学が担当していました。想定されていた運用期間が3カ月だったこともあり、JAXAは2009年夏までには運用を終了したと考えられます。同年9月、SOHLAは資金難などを理由にまいど1号の運用を停止すると発表し、同年10月15日に運用を終了しました。

一時的なブームだけでいいのか

 私が「表面的な美談だけが消費される風潮」にうんざりしているのはまいど1号だけではありません。小惑星探査機「はやぶさ」についてもそうです。

 もちろん、はやぶさの偉業を否定するつもりはありません。その逆です。はやぶさが果たして地球に帰還できるかどうかは、私もとても気になっていました。行方不明になったとのニュースを聞いたときには「今度こそもうダメだ」と思いました。「帰ってこれなかったけれど、立派な業績を残した」とすら思っていました。

 それだけに、試料カプセルが地球に帰還し、しかもその中に小惑星「イトカワ」由来の物質が含まれていたというニュースにはひどく心を揺さぶられました。私と同じように感じた人は多かったのでしょう。はやぶさの帰還は一大ブームになり、はやぶさの開発を題材にした映画が2011年から2012年にかけて3本も公開されました。

 しかし、ブームは去ってしまったようです。後継プロジェクトの「はやぶさ2」は今、資金難で存続の危機に立たされています。しかし、そのことを大きく報道するメディアはほとんどありません。宇宙関連のライターとして有名な松浦晋也氏が、日経ビジネスオンラインに「崖っぷちの『はやぶさ2』、一体どこへ向かうのか?」という記事を書いているくらいです。

 はやぶさ2には、合計で約300億円の費用が掛かります。内訳は、本体の開発費が150億円、H-IIAロケットによる打ち上げ費用が100億円、地上設備が30億円、地球帰還を予定している2020年までの運用経費が20億円です。これに対し、これまでに付いた予算は合計60億円にすぎません。文部科学省は2013年度に114億円を要求していますが、満額獲得は難しいだろうと報道されています。

 「予算が足りないなら打ち上げを延期すればいいのではないか」と思う人がいるかもしれません。もしかしたら、政府の中にもそう考えている人がいる可能性もあります。しかし、それは小惑星探査の性質を知らない人の意見です。

 はやぶさ2が目指しているのは「1999 JU3」という小惑星です。この小惑星にたどり着くには、2014年12月、2015年6月、2015年12月のいずれかの機会に打ち上げを行う必要があります。しかも、到着時期は固定されているため、3回の打ち上げ機会の中でも、後になるほど技術的に難しくなります。これらの機会を逃すと、次の打ち上げ機会は約10年後の2024年です。ここまで延びてしまうと、小惑星探査機に関するノウハウはほとんど失われているでしょう。

 初代はやぶさは、いわば実証機であり0号機です。はやぶさのノウハウを生かせるはやぶさ2からが、いわば本番です。どこの世界に「準備ができたから本番はやらなくていい」という話があるでしょうか。はやぶさの成功に刺激を受けた米国は、日本の何倍もの予算を掛けて小惑星探査に本格的に乗り出してきています。はやぶさ2が実現しないのなら、日本は本当に「成功した者を罰する国」(松浦氏)になってしまいます。

 こうした思いは、部外者の私などよりも、はやぶさ2の開発に関わっている技術者の方々の方がはるかに強く感じているでしょう。日経エレクトロニクス2013年1月7日号の特集「宇宙民営化元年」では、はやぶさ2を取り上げるとともに、プロジェクトマネージャである國中均氏に小惑星探査の意義を語っていただきました。松浦氏のインタビューも掲載しています。ご一読いただければ幸いです。