経営難でリストラが相次ぐ電機産業。長らく、大手電機メーカーは日本経済にとって稼ぎ頭でした。ですから、会社は万全に見えた。安定しているから、定年まで勤めあげられるから、といった理由で電機メーカーを選んだ人も多いでしょう。

 それが、定年のはるか前に、リストラに迫られる。前回のコラム、「苦境の電機産業に見る、日本型雇用の終焉」(Tech-On!関連記事1)で書いたように、不景気で仕事が無いのに、早期退職金を貰うために、我先に希望退職の募集に応募する。こうした電機メーカーを退職したエンジニアは、退職の先に、何が待っているのでしょうか。

 日本企業に移る方も居れば、これから仕事を探そうとする方、外資系企業やベンチャー企業に移る方も居るでしょう。不況の中で、同じような会社に転職できる方は少数でしょうから、多くの方は、次の人生で、今までとは違った環境に適応する必要があります。

 先日、大企業を辞めて、独立しているエンジニアの方々とお話する機会がありました。私自身も電機メーカーを辞めて、大学で研究室という、町工場のような組織を運営しています。独立してみて、みんなで意見が一致したのは、決して良いことばかりじゃない、ということ。

 私は大学から給料を貰っていますが、完全に独立して組織に所属していないと、まず、稼ぐことが厳しい。コンサルタントのような仕事だと、契約は仕事ごと。今の仕事をしつつも、次の仕事を貰えるように、常に営業活動をしなければいけない。日本の大企業のように、働かなくても、病気になって休んでいても、お給料が貰えるのは、大変有り難いこと。

 次に時間。これは、私もそうですが、24時間、365日働くようになります。まず、自分に代わる存在がいないので、何かあったら、状況にかかわらず、自分でやるしかない。言い訳は全くできない。

 従業員を雇用した場合も同じです。会社の運営に責任を持って、何が何でも潰れないように頑張るのは、経営者の自分自身しかいません。従業員に過度にプレッシャーをかけてしまうと、逆効果にさえなりかねません。よく、大企業でも、社長と副社長の距離は、副社長と平社員の距離よりも遠い、と言いますよね。結局、自分の代わりは居ないのです。

 また、一人で独立して仕事をしていると、いつ、仕事が途絶えるか、という恐怖心が常にあります。そうすると、ともすると、仕事を断れないで、何でも引き受けてしまう。結果として、寝ている時以外の時間は働くようになってしまう。

 では、自由でしょうか? お金を頂いたら、出資先からものすごく、束縛されます。出資者としても、結果が欲しいのは当たり前。それは、研究費を頂いている、私でも同じです。それに、最終的な責任は自分にある以上、一緒に働いている人、顧客など、すべての人達をケアしながら仕事をせざるを得ない。

 大企業は組織戦ですから、基本的に、組織で仕事をやります。ある人がいなければ、仕事が成り立たない、ということは稀でしょう。むしろ、どんな人がいなくなっても大丈夫なように、常に、バックアップは用意されている。独立したら、そんな組織戦やバックアップは望めません。結局、独立は、決して、自由じゃないのです。

 一方、独立して得られるものは、何をやるかを、「自分で決められること」。自分で決めて、自分で責任を取る。さすがに、自分で決めたことじゃないと、長時間も働くことは難しいですよね。

 今まで企業にいると、なぜ、当たり前のことができないのか。歯がゆく思うことが多かったのではないでしょうか。例えば、経営難に陥り、政府系ファンドの産業革新機構の出資で再建されることになった、ルネサス エレクトロニクス。

 ルネサス エレクトロニクスは、車などに搭載されるマイコンでは世界トップの市場シェアを持っています。しかし、低収益な、顧客の要求に応じた少量多品種のビジネスを強いられました。大きな市場シェアを背景に、なぜ、自社にとって都合が良い製品を顧客に使わせることができなかったのか。「どこまでも受身。下請け根性」と言われる始末です。

 独立すると、お金を儲けるのは大変だし、必ずしも自由ではないけれど、自分のことは自分で決められる。私の場合も、他人につべこべ言われずに、自分のやることは、自分で決めたい、というのが会社を辞めた理由でした。「自分で決められる場所」が、たまたま、大学だっただけ。

 日本の電機産業では、経営難が原因で、自分の意思に反して、会社を辞めざるを得なくなった方も多いでしょう。お金を稼ぐのは大変だし、会社勤めよりは忙しいし、自由でないかもしれない。でも、自分の人生を、自分で決めることができる。

 大企業のように、自分ではどうしようもない仕組みで人生が決められてしまうことに比べれば、少なくとも、悔いのない、爽快な生き方ができるのではないでしょうか。