悪い点の代表は、冒頭に紹介したオオカミのように、誰かになりすまして悪事を働く手段に使われてしまう恐れがある点。オレオレ詐欺では、これまでは「風邪をひいている」といった言い訳が必要でした。これが、本人と寸分違わない声で話されては、相当用心深い人でもだまされてしまいそうです。近い将来の電話は、声だけでは相手が誰だかまったく分からず、たとえ家族との電話でも最初に何か暗証番号を言う、指紋データなどを送り合うといった手続きが必要になってしまうかもしれません。

 もっとも現時点では、本人そっくりの声を合成で実現するには、30分以上、できれば2時間以上の声の録音データが必要です。それでも、わずか数秒の長さの声データを元に、本人の声を自在に再現する技術の開発も急ピッチで進んでいます。その技術の品質がさらに向上したら、声のデータは重要な個人情報の一つとなり、見知らぬ人との電話では声をわざわざ変えて話す必要が出てくる可能性もあります。

 さらにもう一つ、考えられる悪い点は、声優さんの仕事が減ってしまうかもしれない点です。「声質データ」と呼ぶ、音声合成に必要な声の設計図さえ入手できれば、あとは半ば自由自在にその声優の声で、さまざまな文章を読めるようになります。アニメなどでは、声優の名前の代わりに、その「声優の声質データ」の名前がクレジットされる日が来るかもしれません。

 悪い点だけだと、音声合成技術なんて要らないと思ってしまいますが、良い点もあるでしょう。留守番電話や目覚まし時計のメッセージに好きなタレントの声を入れておくなんてことは序の口。喉の病気で声を失いそうな人は、手術前に自分の声質データを作成しておくことで、手術後にそれを使って「話す」ということも既に実現可能になっています。

 自動翻訳でも役に立ちそうです。現時点の電話を介した自動翻訳サービスでは、翻訳時の声を選べません。このため、子供がサービスを利用しても大人の声で翻訳されてしまいます。これを、できるだけ自分の声に似た声で翻訳するという技術の研究開発も進められています。

 悪い点の一つとして挙げた、声優の仕事がなくなるという点も見方を変えると、良い点、つまり新しいビジネス・チャンスに変わる可能性があります。声が魅力的な声優ならば、自分の声質データの利用権を売ることで、働かなくても収入が大幅に増えるかもしれません。声優でなくても、声の魅力的な人には副収入の道が開ける可能性もあります。

 こうしたビジネスが考えられるのは、現在の音声合成技術では、任意の人の声を自由自在に合成することはできず、多少なりとも実際の声を基に、声質データを生成する必要があるためです。ただし、これも近い将来、人の声の解析が進むことで、人の声のデータのどの特徴量が、声の魅力につながっているかが分かってくるでしょう。そうなると誰もが、自分の好きな合成音声で話すという時代が来るかもしれません。やっぱり、ちょっと不気味かもしれませんね。