「放電加工の時代は,じきに終わる」

 1972年。ジャパックスという放電加工機開発の会社に在籍していた戎は,こんな言葉に耳を疑った。

 すぐさま心の中で反論した。
「何を言ってるんだ」

†放電加工=放電エネルギーを利用して金属を削る,金属加工法の一つ。

技術を見通す「眼」を養う

 当時は,放電加工機の出荷台数が急拡大していた時代。放電加工に代わる技術が登場する時代が来るなど,戎にとっては頭の片隅にもなかった。

 この発言の主は井上潔。ジャパックス(当初の社名は日本放電加工研究所)を1953年に興し,世界初となる放電加工の実用機を開発した人物である。井上の下で働き,放電加工の研究開発に邁進していた戎には,放電加工機の生みの親である井上がなぜそう考えるのか,全く理解できなかった。

2006年12月にかながわサイエンスパーク(KSP)に建立された「放電加工機誕生の地」記念碑。
2006年12月にかながわサイエンスパーク(KSP)に建立された「放電加工機誕生の地」記念碑。
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 実は,井上という技術者の功績は,その世界では広く語り継がれている。川崎市にある,かながわサイエンスパーク(KSP)の片隅には,井上の業績をたたえる石碑が建てられている。数多くのベンチャー企業が入居し,国内最大級の規模を誇るインキュベーション(ベンチャー支援)施設として知られるKSPの敷地の一角には,かつて,ジャパックスが居を構えていた。つまり,ここが放電加工機誕生の地という歴史的事実を,今に伝える石碑である。

 日本初の大規模インキュベーション施設であるKSPの誕生にも,井上は深く関係している。ジャパックスが基金を出して設立した財団法人が,KSP設立の基となるサイエンスパーク構想の調査報告書を作成した。KSPの開設は1989年。井上は,KSPの運営会社であるケイエスピーの初代副社長にも就いた。

 その一方で井上は,生涯技術者として歩んだ。ケイエスピーの副社長の職と並行して,材料研究などを手掛ける会社を立ち上げ,2005年にその生涯を終えるまで,研究開発に没頭したという。

 ジャパックスで井上と行動を共にしていた戎は,一度,井上の下を離れた後,この材料研究の会社で再び合流した。そして最後まで井上の下で日夜研究に励んだ。戎が,井上を振り返る。「井上さんが言っていたことは,20~30年たつと現実になっている。放電加工の用途の一部はその後,切削加工などの他の技術に置き換わっている。井上さんは,技術の先の先を見据えていた。当時,井上さんは毎月一つ,思っていることを紙に書いて配ってくれていた。これを今になって見返すとビックリする。そのときは意味が分からなかったけれども,これから起こることを聞かされていたのだと…」。