兵站(へいたん)線の伸びを防ぎ、さらなる成長の方向性を描くためには、生産拠点の母子関係を再構築しなければならない。ダイキン工業の事例からは、子供の自立と、それ以上に親の役割変化が求められることが理解できたと思う。すなわち、海外拠点においては、日常のオペレーションや生産立ち上げ、場合によっては量産設計などの開発業務までもを自立的に行えるようにする一方で、本国拠点では、海外拠点の成長を阻害するような「過保護」な支援をやめ、グローバルなものづくりを革新するような上流レベルでの技術革新に集中すべきだとの知見が得られたのである。

 だが、筆者が所属する東大ものづくりセンターでの調査では、ダイキン工業型を典型パターンとしながらも、それとは異なる進化を遂げている企業が多数存在することが明らかになっている。今回は、それらの異なる進化パターンについて、幾つかの特徴的な事例を紹介していこう。

トヨタ自動車:GPCと製造拠点によるマザー機能の分業モデル

 ダイキン工業では、技術技能の管理/指導/発展といったマザー工場が担うべき役割を、各国内工場の横断的な組織である生産技術部という単一部署が担当していた。これに対しトヨタ自動車は、複数の製造拠点とそのサポート役であるGPC(Global Production Center)が、各種マザー工場の役割を分業する仕組みを採用している*1

*1 トヨタ自動車の事例は、東京大学大学院経済学研究科の徐寧教(ソ・ヨンキョ)氏とのディスカッションに基づく。より詳細を知りたい方は「マザー工場制の変化と海外工場 ―トヨタ自動車のグローバル生産センターとインドトヨタを事例に―」(徐寧教、MMRC Discussion Paper No398、2012年)を参照されたい。

 トヨタ自動車ではもともと、車種ごとにマザー工場が決められており、それぞれのマザー工場が同じ車種を生産する海外拠点の生産立ち上げや育成指導を担当することになっていた。しかし、2000年ごろから海外生産量が急激に伸び、本国製造拠点の支援負荷が増大してくる(本連載第1回を参照)。加えて、この方式では複数車種を担当する海外拠点に対してラインごとに別のマザー工場から指導員が派遣されるため、ラインごとに指導内容が異なってきてしまうといった弊害も生じるようになっていた。