前回から引き続きメディア・アーティストで、京都大学 情報環境機構 教授の土佐尚子氏を紹介したい。(前回のコラム「コンピュータは『文化』を理解するか」はこちら

 絵を描くことが好き、そして多くの本を読んで思索に耽る少女だった土佐氏は、コンピュータ・グラフィックス(CG)の世界に触れ、メディア・アーティストの道を歩んだ。それと並行して、表現のツールとしてのコンピュータが持つ可能性に興味を抱くようになる。武蔵野美術大学の講師をしながら、海外に活動の舞台を移したいと考えていた。

 そうした中、1990年初めには、代表作の一つである「Neuro-Baby(ニューロベイビー)」を制作した。コンピュータが創り出した赤ん坊のキャラクターが、ユーザーの声の抑揚に応じて泣いたり、笑ったりする。当時、研究開発が盛んだったニューラル・ネットワークを用いたインタラクティブ・アートだ。

Neuro-Baby
土佐尚子 (1996年)
Monitor, Computer, Emotion recognition software
50cm×50cm×50cm
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 土佐氏は著書『カルチュラル・コンピューティング――文化・無意識・ソフトウエアの想像力』(NTT出版、2009年9月)で、「今から考えてみれば、それは研究者の目指していたのが情報のやりとりを目的とした会話であったのに対し、《ニューロベイビー》は感情のやり取りをめざしていたという意味で、いわば当時情報と見なされていなかった感情を扱うという研究者の盲点を突いた作品であった」と記している。

 最近、スマートフォンなどでは音声入力の開発が花盛りだ。そこで注目を集めているのは、ユーザーの意図や感情を読み取るエージェントとしてのコンピュータである。約20年前に土佐氏は、現在のこの環境につながる人間とコンピュータ間のコミュニケーションのあり方を、アートという視点で切り取っていたわけだ。

MITの研究所で気が付いたこと

 こうした活動がコンピュータとアートの結び付きを強める方向につながっていく。1995年に土佐氏は、10年以上活動した東京から関西に拠点を移した。ATR(国際電気通信基礎技術研究所)の知能映像通信研究所に客員研究員として迎えられることになったのである。ここでは、人間の感情など、言葉ではない情報やストーリーの取り扱いに着目し、それらを可視化する研究に取り組んだ。

土佐 尚子氏。京都大学 情報環境機構 教授。
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 7年間のATRでの活動を終え、2002年に土佐氏は念願の米国へと旅立った。米Massachusetts Institute of Technology(MIT)の高等視覚研究所のフェロー芸術家として渡米する。

 ATR時代に土佐氏は自分が技術系ではなく芸術系であることで、見えない差別を感じたという。差別と表現すると誤解を生むかもしれないが、それは多分、芸術系と技術系の人々のアプローチの違いによる違和感ということなのだろう。

 多くの技術者にとっては研究の目的がコンピュータそのものであって、コンピュータを特別な存在と思っている節がある。しかし、土佐氏にとってコンピュータはアート表現に使う道具の一つであり、例えれば絵具が1種類増えたような印象でしかない。あくまで表現者としての人間が中心であり、土佐氏のコンピュータについての研究は、道具を作ることでしかない。

 Harold Cohen氏という英国生まれのアーティストがいる。米University of Californiaのサンディエゴ校(UCSD)などでコンピュータに人間と同じように絵画を描く知性を持たせる研究を手掛けた人物だ。そのCohen氏と自分のアプローチは違うと土佐氏は言う。Cohen氏の場合はコンピュータ自体が絵画を制作するが、土佐氏はコンピュータを用いて自分自身が表現する。