対談:土佐尚子 × 加藤幹之
コンピュータは単なる箱ですよ
加藤 武蔵野美術大学の講師の次には、ATR(国際電気通信基礎技術研究所)の研究員として活動しています。その頃の取り組みが、「カルチュラル・コンピューティング」につながっていくんですね。
土佐 1980年代末に富士通研究所の研究者と出会って、1990年代の初めに「ニューロベイビー」というインタラクティブ・アートを制作しました。人間の声の抑揚に応じて赤ん坊のキャラクターが泣いたり笑ったりする作品です。
その頃に海外の大学や研究所に行きたいと思っていました。自分の作品を最初に認めてくれた海外で活動してみたいと思ったからです。そう考えている時に、ATRが新しい研究所を作るのでアーティストを探していると聞いたんです。人工生命の研究で有名なトーマス・レイさんの紹介でATRに拠点を移しました。
ATRで活動を始めて、カルチャーショックが多かった。武蔵野美術大学では、私はどちらかというと技術系よりかなと思っていました。でも、芸術系で活動した人間が技術系の研究所に行って、見えない差別を感じたんです。
加藤 「技術は分からんだろう」と言われているような印象を受けるということですか。私も法律畑の出身で、メーカーで働いていたので、似たようなことを感じた経験があります。
土佐 私が負けず嫌いだからかもしれません。でも、別世界から来た人間ではあるけれど、目指す研究のゴールは本来同じですよね。
加藤 芸術系から入ったからこそ、分かることってきっとありますよね。
コンピュータは定規やコンパスと同じ
土佐 絵を描く人間からすると、コンピュータはただの道具に過ぎない。定規やコンパスと同じですよね。絵の具が1種類増えたようなイメージです。
コンピュータだから特別なものとは思えない。メガネの例えでもいい。メガネがあるから、よく見える。それと同じで、コンピュータは自分の手や頭の延長です。一心同体のところもあるし、自己拡張のツールでもある。
その考え方から始まって、今までは道具がなかったから自分が使いやすい道具を作ろうと考えていたわけです。ニューロベイビーを制作した時には、「怖いね」という人もいました。「将来、こういうコンピュータに人間社会が乗っ取られるんじゃないか」と。人工知能などの研究者は、SFちっくな発想になるのかもしれません。私もそういうことを考えた時期もありましたが、やはり、私にとってのコンピュータはただの箱、機械なんですよ。
Harold Cohenさんというアーティストが、自分の書き方と同じ技法で絵を描くコンピュータを研究していました。自分思考自体をコンピュータに教え込むわけです。でも、それは私の仕事ではないと感じましたね。
加藤 日本や東洋の文化を表現することに注力していますが、何かキッカケはあったんですか。
土佐 MITにいた時代の体験が大きいと思います。外から日本を見て、日本が恋しくなった。それまでは、内向き志向な日本は大嫌いだったんですけどね。
MITの研究員に選ばれたのは、アジアの文化を表現する人材を求めていたからのようです。研究所は欧州系の文化が強いところで、Steve Benton教授には「コンピュータを使って日本を見せろ」というミッションを与えられました。