「土佐先生は、技術者というより芸術家ですよ」

 今回から紹介する京都大学 情報環境機構 教授の土佐尚子氏を評して、こんな意見を知り合いから聞いた。ご存じの通り、本コラムの名称は「華麗なる技術者」である。「技術者として華があり、その取り組みや生き方に美しさを感じさせる人物」を紹介することがコラムの趣旨だ。

土佐 尚子氏。京都大学 情報環境機構 教授。
[画像のクリックで拡大表示]

 そのコラムで、周囲から「芸術家」と評される人物を取り上げることの是非は、正直なところ少し考えた。確かに土佐氏の本職はメディア・アーティスト、つまり芸術家だ。

 2012年5月12日~同年8月12日に韓国・麗水市で開催された万国博覧会で土佐氏は、東西南北の方角を守る四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)をモチーフにした映像作品「Asian Saint」(Under water Sansui with Four Gods)を出品した。万博の委員会からの依頼を受けて作成した作品を、会場のメインストリートの天井に設置された幅250m、長さ23mの巨大なLEDディスプレイで上映。約668万個(6820×980個)のLEDを用いたディスプレイ一杯に3分間の映像が繰り返し躍動した。この他にも、アーティストとして国内外の多くの賞を受賞している。

 しかし、その経歴と取り組みを見ると、技術者の香りが強く漂う。「華麗なる技術者」が登場する本コラムでは、10人目にして実は初めての女性である。女性だから華麗なる技術者としての要件を緩くしたなどということはない。土佐氏はメディア・アーティストであると同時に、「カルチュラル・コンピューティング」と呼ぶ学問分野を提唱している工学博士でもある。人間の思考や記憶を支援するメディアとしてのコンピュータを、文化の理解に用いるという取り組みだ。

独学でソフトウエアを学ぶ

 土佐氏は著書『カルチュラル・コンピューティング――文化・無意識・ソフトウエアの想像力』(NTT出版、2009年9月)で、「無意識のうちに深く内属している感性・民族性・物語性といった文化の本質を情報化する。そして、ノンバーバル(非言語)情報とバーバル(言語)情報に統合し、文化追体験や文化モデルの交換体験をコンピュータで取り扱う」と、カルチュラル・コンピューティングを定義している。

韓国・麗水市で開催された万国博覧会の会場と、「Asian Saint」の展示イメージ。
[画像のクリックで拡大表示]

 世界をつなぐインターネットが社会に行き渡り、常に持ち歩くスマートフォンが急速に普及している今、人間活動が生み出す文化を理解することは、これまで以上に重要さを増している。人々の身近になったコンピュータで文化を表現し、それを理解できるようにする。新しい製品やサービスの開発に悩む日本メーカーにとって、この取り組みは大きなヒントになる可能性を秘めている。

 20歳代にビデオ・アート作品の制作を始めると同時に、独学でソフトウエアを学んだ。武蔵野美術大学の映像学科で講師をしていた時も、他に教えられる人がいないという理由で、プログラミングを教えたこともあったそうだ。技術者としてみた場合、土佐氏は芸術と技術という二つの分野の境界領域という、かなり特異な分野を自ら切り開いてきた人物と言えるだろう。

 土佐氏は芸術の世界から技術に首を突っ込んで、というか、必要に迫られて足を踏み入れた。コンピュータに初めて出合ったのは1980年代。コンピュータを用いたメディアアートの黎明期だ。自分が望むアート表現をコンピュータで得るためには、自分でツールを開発するより他なかった。その取り組みが、芸術と技術の境界領域で独自の世界を築く現在につながっている。

 そう聞いて、思い出した読者がいるかもしれない。