土佐 絵で表現するというのを受け入れてもらえたことが大きかったと思います。小学校の頃から美術クラブに入って、美術に熱中しました。美術展で賞を取ったりしてはまっていったんです。

 高校生になって、本もたくさん読みましたね。図書館にいるか、絵を描いているか。哲学書とか、精神分析とか、心理学とか。小説では、カフカやカミュなどの不条理もの。当時は、実存主義が流行していて、サルトルやボーボワールなども読みました。

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 作画する時は自分が表現したいことを考えながら描くんですが、その表現が説明的になっては面白くない。心の中のドロドロしたことや、無意識下の意識のようなものを表現するわけです。中学、高校の美術は郷土の美術家として有名な滝口文吾先生に教えてもらいました。先生はシュールレアリズムに傾倒していて、その影響を受けました。

加藤 土佐さんが高校生の時代は、まだコンピュータが身の回りにある時代ではないですよね。コンピュータに興味を持ったのはなぜですか。

土佐 高校を卒業して地元の短大に通い、作品を制作していた時代に、映像アートに出合ったんです。映像アートを含めてコンピュータ・グラフィックス(CG)が米国から入ってきたばかりでした。それで興味を持って、上京してCG関連の制作会社に就職しました。

空いた時間に作品を作り続ける

土佐 CG制作を手掛けている時に、頭の中で考えていることをダイレクトに表現できる時代がくると思ったんです。それまでは、自分の手で描いたりする技術がなければ、表現できなかったわけで、大きな変化だなと。

 その後、学研の「学研コンピュータグラフィックス映像センター」でテレビの報道番組に使うCGなどを制作していました。仕事は面白かったのですが、胃潰瘍を3回くらいやりました。仕事のCG制作だけやっていればよかったのですが、空いた時間に自分で作品を作り続けていたので。生活費を稼ぐために仕事をやって、アーティストを目指して映像作品を作っていたという感じです。

 そうこうしているうちに、CG関連の国際会議「SIGGRAPH」の賞に入選した。その後、国内外の美術館で作品を発表したり、ギャラリーで作品を扱ってもらったりできるようになりました。

加藤 まだ映像アートやCGの走りの時代ですよね。コンピュータの扱いは、どのように学んだのですか。