マザー工場システムの弊害

 ダイキン工業において、マザー工場システムはグローバル生産ネットワーク全体の能力強化に大きく貢献した。マザー工場システムの導入によって、ダイキンはそれまで場当たり的な対応で終始していた海外支援を組織的・計画的に行えるように変革し、さらにそれを通じて世界各国の生産拠点に「ダイキン流のものづくり」をあまねく行き渡らせることに成功したのである。

 だがその一方で、マザー工場システムはダイキンに新たな問題をもたらすことになった。それが、本国マザー工場(生産技術部・製造部)の大幅な負荷増大である。同社CEOの井上礼之氏の下で、本国・海外ともに事業が好調に推移していけばいくほど、グローバルのものづくりを一元的に管理している本国マザー工場の負荷が増大し続けたのである。

 生産技術部・製造部の負荷が増大しているならば、本国や海外でそれらの人員を増強すればよい。業績好調なら、資金は潤沢にあるだろう――そのように考える読者もいるかもしれない。だが、問題はそう単純ではない。担当領域について一流の技術を持っており、自社のものづくり思想を理解しており、かつそれを海外従業員に伝承・指導できるような人材が、果たして社内にどのくらいいるというのか。

 例えば、ダイキンでは、2004年に操業開始したチェコ工場の立ち上げに際しては、マイスターと呼ばれる日本でも当時わずか11人しかいない製造現場のトップメンバーを全員そこに参加させ、現地事情に合った製造マニュアルを作成した。さらに、現地から招いたキーマンとなる作業者を数カ月間かけて徹底的に鍛え上げた。こうした徹底した支援方策があったからこそ、チェコ工場はスムーズに立ち上がり、欧州市場獲得に大きく貢献することができた。だが、そうした業務を遂行できるのは、長期の間、日本においてもせいぜい10人程度。そうした希少な人材が、増え続ける海外拠点の支援に忙殺されるという事態を生み出したのである。

 とりわけ2006年の業界大手O.Y.L社買収時には、12もの拠点が一度にダイキン傘下に入り、海外拠点の支援に必要な本国人材の不足への対応が喫緊の課題であることを認識させた。O.Y.L社買収に際して、ダイキンは日本の生産・販売・開発部門から専任80人、役員クラス4人を含む述べ300人を投入し、ダイキン方式を移転しなければならなかった。場合によっては、国内の開発・生産現場のキーマンすらも割いて海外に派遣しなければならず、少なからず本国事業運営にも影響が出たという。当時を振り返り、井上CEOは後にこう述べている。

「ただ一つの誤算は人手。ここまで人手がいるとは思ってなかったです。もう1回同じような買収をすれば,日本の人材は払底する」