中国人である筆者にとって、玉子焼きは小学生の時から作れた簡単な料理である。にもかかわらず、そんな玉子焼きの専門店が日本ではあると聞いたとき、正直、愕然としたことを今でも覚えている。「専門店の玉子焼きの味は、何が違うのか」「あんな簡単な玉子焼きを作るのにプロが必要なのか」--長い間、疑問を持っていた。中国料理には卵を使う料理もあるが、レストランのメニューには玉子焼きを一度見たことがない。家に客人を招待するときも玉子焼きを出したことはない。

 しかし、実際に一度、京都にある専門店で食べる機会があり、その認識は変わった。職人の作った玉子焼きの味は本当に格別で、今まで味わったことのないものだった。筆者、そして、一般的な中国人が持っている玉子焼きのイメージを塗り替えるのに十分なもので、玉子焼きという料理を再定義し得る一品と言えた。その後、調べてみたところ、使われている食材、作り方、調理にかける時間が、通常の玉子焼きと全く違うことが分かった。だから、味も違う。その上、専門店のサービスも一般的な料理店と違っていた。もちろん、価格も違っていた。

 簡単なものでも、究極を追求する職人精神は、確かに世界中に評価されている。こういった勤勉さが日本の文化や経済の基礎を作っているのだろう。

 しかし、玉子焼きを作る職人の技に感激すると同時に、「その価値はどのぐらい認識されていて、どのぐらい人がわざわざ専門店に食べに行くのか」と、とても気になった。その疑問は今でも払拭されていない。一握りの人々ではなく、より多くの人々に受け入れてもらうには、「高くておいしい」ではなく、やはり「安くておいしい」を実現する努力も必要ではないだろうか。日本のハイテク製品は、ともすれば「過剰品質」と捉えられがちである。ここには、共通の問題点が存在しているように、筆者は感じている。