─まさに,ゲームの可能性が広がっているということですね。

 昨今,さまざまな技術が使いやすく,かつ安価に実現できるようになってきました。4~5年前では処理が重い上にコストがかさんでいた技術が,次々に手軽に使える水準になってきました。米Apple Inc.の「iPhone」や「iPad」に使われている技術は好例でしょう。センシング技術も使いやすくなりました。任天堂の「Wii」で使うセンサや,米Microsoft Corp.の「Kinect」に使う画像処理技術などです。画像処理の技術のみならず,カメラの性能もちょうどいい具合に高まってきた。物体の動きを推論する技術も,手軽に利用できるようになりました。

 これらの各種技術が今,手に届く時期になっているので,ゲーム関連では技術的な閉塞感はありません。これから用途が広がり,さまざまな応用先で融合が始まる予感がします。

─ゲームに各種技術を活用でき,非常に手の込んだことができるようになった。その一方で,ゲーム・ソフトウエアの開発費の高騰が危惧されます。

 私の古巣であるナムコ(現バンダイナムコゲームス)が1978年に発表したビデオ・ゲームの第1号機では,プログラムと画像データを全部合わせても5Kバイトのサイズしかありませんでした。それでもゲーム機で稼げたんですね。5Kバイトといったら,今ではテキストを何行か書いたら達してしまう容量です。現在,光ディスクを使うゲームでは25Gバイト程度の容量を使いますので,当時の500万倍に相当します。こうした簡単な比較だけでも開発費が高くなるのは分かります。

 では,当時のゲームが面白くなかったかといえば,そうではありません。ゲーム学科の学生に昔流行したゲームで遊んでもらうと,「楽しい」と答えるケースも多い。当時のゲームでも現在のゲームでも,普遍的な面白さが存在するのです。その普遍的な部分に,技術的な進化や社会からの要請を掛け合わせると,今後のゲームの姿が見えてくると考えています。