─前述の「ディスプレイが要らないゲーム」について教えてください。液晶ディスプレイを使った機器が身の回りに増え,かつ3Dディスプレイも身近になりつつある今,あえてディスプレイを使わないゲームも視野に入れる理由をお聞きします。

 現在は,ディスプレイ至上主義でゲームがとらえられている傾向にあると思います。例えば,iPhoneなどのスマートフォンの画面寸法を前提として,小さな液晶ディスプレイという箱庭の中で遊ぼうとすると,発想はその中にとどまってしまいます。

 では,液晶ディスプレイのフレームをどんどん大きくしていって,フレームが自分の視界から見えなくなったらどうなるか。臨場感を高めて楽しむという,バーチャル・リアリティーの方向性が考えられるでしょう。あたかも自分がそこに存在するという世界ですね。こうなると,もうディスプレイで表現が制限されることはありません。ディスプレイのフレームをだんだん広げていった先には,目に入る情報を使わないで遊べるゲームがあると思います。これが,ディスプレイが要らないゲームの意味です。

 実際,昔は「ルービックキューブ」でよく遊んだものです。面白かったですし,我々が昔,おもちゃに接していたのを思い返してみると,目だけでなく手を使って何かしていましたよね。

─岩谷さんがパックマンを制作した30年前と比較すると,ゲームを取り巻く環境は大きく変わりました。

 当時,ゲームを制作する際には,「至れり尽くせり」を目指していました。プレーヤーのアイテムが追いかけられるときのプレーヤーの気持ちを考えたり,1回ミスした後は易しいレベルからスタートさせた方が喜ぶことを考慮したり,パックマンにはさまざまな工夫を施しました。要は,多くの人が楽しめるように,かゆいところに手が届くように作っていたわけです。ゲームだけではなく,この考え方は今の日本の工業製品とか,著作物に生かされています。

 主に人件費の観点から,アジア諸国に工業製品の生産拠点が移りつつあります。日本は何で成り立っていくかというと,知的財産と技術力,そして至れり尽くせりのきめ細かな配慮ではないでしょうか。それが日本のクオリティーで,世界に通用するものだと思います。ゲーム作りには今も昔も,やはりお客様志向の至れり尽くせりの姿勢が求められるというのが私の信条です。