結論をいえば、私のこうした試みは大失敗に終わった。SEL社のNo.2は、私の意見を聞き入れてくれて、このVPをロケフリの販売に携わっていた日本人と米国人の2人の担当者の上司に据えてくれた。しかし、人員増強は実施されず、組織そのものもパソコンのマーケティング部隊の中に入れてしまったのだった。

 実際、2005年10月には、米国市場でもノート・パソコンやPSP対応のロケフリが発売されたものの、あくまで周辺機器としか見なしておらず、片手間でしか扱われなかったのだ。日本では、ソニーのホーム・ページにはロケフリのカテゴリーが独立しているのに対し、米国ではパソコン「VAIO」の紹介ページの中の周辺機器の欄に、ようやくロケフリを見つけられるという状況だった。とても真剣に扱っているとは思えなかった。

 加えて、信頼していたVPは、ロケフリの販売に対して私の依頼していたこととは正反対の動きをしていた。孤軍奮闘する日本人担当者の力になるどころか、むしろ兼務でいた米国人GMを重宝するように組織を変更したのだ。米国人のほうが、表向き扱いやすかっただけのことであろう。このVPは、組織変更を実施した後は、ほとんどビジネスに絡むこともなく他の組織に移ったのであった。2006年1月のInternational CES期間中のことだった。

孤軍奮闘の米国担当者が去る

 2006年のCES期間中には、さらに追い討ちをかける出来事があった。孤軍奮闘する日本人担当者をねぎらおうと昼食を共にした際に、「まだ誰にも話してないが退職しようと考えている」と打ち明けられたのだ。この日本人担当者の性格を良く知っており、その時の状況から強く引き止められなかったことを覚えている。この時ほど、自分の判断ミスを悔やんだことはなかった。

 今でも覚えているのは、SEL社のNo.2に信頼しているVPを据えてもらうように頼んだとこの日本人担当者に話した際に、それまでにない強い口調で「欲しいのはVPではなくスタッフだ!」と言われたことを覚えている。この日本人担当者は、本当に新規商品を愛しており、我々と同じ気持ちで心から新規事業を創造しようとしてくれていたのだ。この結果、もはや米国市場でロケフリ事業を育てることは極めて困難になったのである。

 その後、さらに操作性を高めたロケフリの新商品を開発していくのだが、米国では一度も脚光を浴びることはなかった。逆に、ロケフリの類似商品を手掛けていた米Sling Media社の後塵を拝することになる。こうした状況が続く中、私自身も1年後にはソニーの退職を決心するのだった。