─岩田さんが感じた危機感は,ほかの社員や技術者にも共有できていたのですか。

 社長が「これからはこっちだ!」と言ったときに,社員全員が心からそれを信じるなんてことはあり得ないでしょう。前任者の山内ならできたかもしれません注1)。彼は,地方の花札・トランプ会社だった任天堂を「世界のNintendo」にしたスーパー・カリスマですから,一言の重みが違います。私は彼よりはるかに若造で,しかも外部からやって来た人間ですからね。

注1) 任天堂 前社長の山内溥氏。同社を世界的企業に成長させた。

 だから,私は何度も同じことを言いました。たぶん,ものすごくしつこかったと思います。すると,少しずつ変化が現れるんです。例えば,売り場に今まで見たことがない層のお客さんが来るようになったとか。営業担当者のそうした報告を開発陣に伝えると,技術者が驚くんですね。そうして,やがてこの方向に可能性があるということを信じられるようになります。

 いろいろな意味で大きく変わったと感じたのは,「脳を鍛える大人のDSトレーニング」(脳トレ)がブレークしたときです。脳トレ現象が起きたときは,本当にお客さんの層が変わりました。社員たちにも自分の親から「あれを送ってくれ」とか,全くゲームに興味を示さなかった妻から「面白かった」と言われたとか,そういうことがいっぱい起こりました。

 「ゲーム人口の拡大」というお題目で,本当にできるかどうか分からず恐る恐るやっていた。これが一変して,やればできると確信したわけです。社員たちがそう信じることはとても重要で,その後はゲーム層を広げる新しいソフトウエアの提案がすごく速く出てくるようになりました。

 よく「2-6-2」といわれますよね。組織で何か新しいことを起こそうとすると,すぐに賛成する人が2割,協力してくれない人が2割,どっちつかずの様子見の人が6割になるという意味です。最初の2割がアクティブに動き始める。その動きから2割が2割5分になり,3割になります。私の経験ではだいたい3割5分ぐらいに達すると,一気に8割ぐらいになります。そのちょっと手前,2割から3割5分までのところが,時間がかかってとてもしんどいのです。今回は,脳トレのヒットのおかげでそこが思ったより早くできました。

 正直に言えば,「ゲーム人口の拡大」という方向性には割と自信がありました。でも,いつそれが達成できるのか,それに1年かかるか,3年かかるかは全く分かりませんでした。その方向が正しいという思いだけがあった。しかし,私は社長ですから例えば5年たっても結果が出なければ,おそらくクビになっていたでしょう。

 脳トレがブレークしたのは発売(2005年)から半年たった年末でしたから,DSの発売(2004年)からは約1年かかっています。でも,1年で乗り越えられたのはすごく早かった,運が良かったと私は思っています。

 なんでもそうですが,できるかどうかはやってみないと分からないし,もっと言えば運なのです。たまたま人々が許容する時間のうちに結果が出ることを「運に恵まれる」と言うのだと思います。だから,今回たくさんの人が協力してくれたことや川島先生との出会いがあったことなどの幸運に,すごく感謝せずにはいられません注2)

注2) 東北大学 加齢医学研究所 教授の川島 隆太氏。脳トレの監修者。

 そしてもう一つ,任天堂にとって幸運だったことがあります。脳トレの成功は,目標の実現が可能なことがみんなに共有され,社内が大きく変わるきっかけとなりました。そのタイミングで,ちょうどWiiの開発が佳境だった。これは任天堂にとって超ラッキーでした。もし順番が逆だったら,現在のようなWiiの成果はなかったかもしれません。