前回から2回にわたって、この四半世紀をPLMの視点から振り返り、改めて感じたのは、1970年代も含めて現在まで、日本のものづくりを取り巻いてきた“うねり”の大きさである。1980年代、わが国は幾度ものオイルショックを跳ね返し、イノベーティブな国全体のシステム“日本株式会社”で日本のものづくりを頂点(Japan as No1.)に導いた。しかし、これを契機にさまざまな外圧(日本異質論、自動車の輸出規制、プラザ合意など)や内圧(バブル崩壊という自滅)が生じ、徐々に企業の余裕が失われていったのである。

 これを建て直すため、少なくとも2000年代半ばまでは、日本の経営者も世界的な経営戦略(ERP、BPR、PLM)や先端手法〔3次元設計手法、シミュレーションベース設計、ICT(PDM、PLM)〕に目を向け、それらの導入により体質強化を図ってきた。PLMを含む前述のキーワードも経営者の関心を得て経営戦略や情報戦略の一角に取り入れられ、展開されてきたのである。ところが残念ながら、いまやPLMは経営者の関心を得るキーワードではなくなってきている。しかし、第8回まで述べてきたように、日本のものづくり企業が“イノベーティブな川上機能を強化・再構築する“には、PLMの戦略性やICT基盤の大いなる活用が重要になる。そして、そう感じているのは、筆者だけではないはずなのである。

 次回は、このような視点から“これからのPLM”について述べてみたい。