さて、日本と台湾企業の協力について報じた台湾メディアの記事では2012年8月末、もう1つ目を引くものがあった。半導体ファウンドリの台湾United Microelectronics社(UMC=聯電)の子会社であるユー・エム・シー・ジャパン(UMCジャパン)が同年8月21日、解散、清算を決めたことを取り上げた台湾の週刊誌『今周刊』(同年8月29日号)の「郭台銘がいま最も知りたい台湾・日本企業の過去の合併事例が啓示するもの」という記事がそれだ。UMCジャパンを通じて日本人と共に仕事をした台湾人が、日本人をどのように見、評価していたのかを垣間見ることができて興味深い。

 解散・清算の理由についてUMCジャパンのプレスリリース(同年8月21日付)は、「日本での事業を継続しても業績の回復は困難で、損失が拡大する可能性が大きいと判断したため」と説明。最終受注分の生産を終えた時点で、館山工場(千葉県)の操業を停止するとしている。また台湾紙『聯合報』(同年8月22日付)は、UMC幹部の話として、日系の顧客からの需要が減少していた他、2011年3月の東日本大震災後、エネルギー供給が不安定な環境下、日本の半導体産業では川上から川下に至るまで減産や人員削減、工場閉鎖に追い込まれる企業が相次いでおり、UMCジャパンも厳しい経営が続いていたと伝えている。

 UMCは1999年1月、新日鉄から買収した日鉄セミコンダクターを「日本ファウンドリー」に社名変更。その後、2001年11月、UMCジャパンへとさらに社名を変えている。そしてUMCジャパンは2000年3月、神戸製鋼所で万年赤字にあえいでいたKTIセミコンダクターの経営再建で手腕を発揮した坂本幸雄氏(現エルピーダメモリ社長)を社長に迎えている。

 今周刊の記事は、「台湾側は、『文化の差異を乗り越えるためには、日本人を日本人に管理させるのが一番いい』として、坂本氏を社長に据えた。坂本氏は1998年に80億円の赤字だった同社を、2000年に早くも黒字に転換させた。同社はまた、日本人社員を引きつける手段として、ストックオプション制度を導入。日本人社員が手にした何百万円ものキャピタルゲインの前に、異文化の壁はかき消された。日本のマスコミは当時、台湾と日本のこの協業を『半導体産業の伝説』ともてはやした」と指摘した。