ラーメンどんぶり片手に店を飛び出た僕が見たのは、自分が働く会社の高層ビルが、グワングワンと唸りをあげるようにゆったりと揺れている姿。あちらこちらで、皿やグラスが落ちて割れる音が聞こえてきた。

 「もう大丈夫です。中に入ってください。すぐに作り直しますから!」

 揺れが収まった後、店員の声で店の中に戻った僕は、つけ麺を平らげた。その時点では、店員も居合わせた客もコトの大きさを全く理解していなかったのだと思う。

 食事を終えて、それでもあまりの揺れの大きさに何となく「普通じゃないな」と感じ、恐る恐る会社に戻った。案の定、エレベータは止まっていた。僕が働くフロアは41階。困った。少ししたら、エレベータも稼働するだろうと思い、会社のビルの地下にあるカフェで時間をつぶすことにした。

 この時点でも、まだ僕は重大さが分かっていなかった。地下に降りるのとすれ違いで、近所の保育園児と先生たちが避難してきた。自分の家族が心配になった。地震直後から妻に電話してもつながらない。何度か試したが、やはりつながる気配はなかった。

10分かけて41階まで登ってみると…

 外出先から戻ってきた同僚と出くわし、コーヒーを飲んでいると、館内放送で社員に早退を促すアナウンスが流れた。階段を降りて帰宅する社員の長い列ができ始めた。

 僕は当時、経営企画部に所属していて、社員を見送らなければならない立場だった。きっと同じ部署のメンバーは慌ただしく対応に追われているはず。意を決して、41階に向けて階段を上り始めた。続々と足早に降りてくる多くの社員。流れに逆行しているのは僕だけ。周囲の視線を気にしながら、10分ほど階段を上り続けた。

 やっとの思いで41階を登り切り、肩で息をする僕の目に飛び込んできたのは、キレイになぎ倒されているキャビネットの列。ふと見上げると、吹き抜けの天井が一部剥げ落ちていた。「思ったより、ひどかったんだな」などと思いながら自分の席に近づくと、「よかった。いるじゃん!」という親しい先輩の声。事情を聞くと、僕は部署で唯一の行方不明者であり、関連部署すべてに内線連絡しても見つからず、キャビネットの下敷きになったのではないかと本気で心配していたらしい。

 「ご、ごめんなさい。つけ麺を食べて、地下でお茶していました…」

 その後、会社のBCP(事業継続計画)の初動には乗り遅れたけれど、できることから取り組んだ。当然、翌日の社内イベントは中止。参加予定の事業部やグループ会社に中止の連絡をする過程で、工場や顧客などの状況を聞いた。「これは、結構な影響があるんじゃないだろうか」と、ようやくコトの大きさを認識しつつある時に、携帯電話機のワンセグ画面に信じられないような光景が映し出されていた。

 それは、釜石(岩手県釜石市)の映像だった。