企業が見透かされる時代

 一昔前のマーケティング理論では、消費者は「機能的ベネフィット」か「情緒的ベネフィット」、あるいはその両方を求めて商品やサービスを購入するということになっていました。その物が自分の欲求を満足させてくれるかどうかが最大の商品選択基準だったわけです。しかし、消費者の価値観のグローバル規模での変化はそんな物差しを過去のものにしてしまいました。今、消費者は問い始めています。その商品や企業が存在することが社会にとって善であるのか。例えば、 米国のCoca-Colaという企業は地球上の人々にどのような価値をもたらしているのだろうか。それに対する同社からの答えが、現在展開されている『Live Positively -世界をプラスにまわそう-』という企業コミュニケーションです。同社のホームページを見ると、人や社会への貢献とビジネスの成長を両立させて持続可能な社会を実現することが世界共通の事業指針である、と明言されています。

 グローバルな大企業や著名ブランドは、世間から叩かれやすいのが現実です。例えば米Starbucks社が世界に展開し事業を拡大するにつれ、コーヒー豆の調達に際してその巨大な買付け量を背景に生産者(多くは発展途上国のコーヒー農園)に対して不当に安い価格を強要しているのではないか、とNPOの「FAIRTRADE」から批判を受けました。FAIRTRADEは、比較的経済発展の遅れた地域の農民など、巨大グローバル企業に対して交渉力の弱い人々を支援して公正な取引や公平な価格、さらに地域の持続的発展の実現などを目指すNPOです。Starbucks社はコーヒー豆の仕入れ価格を抑えることよりも、生産者との共存共栄の道を選び、逆にFAIRTRADE運動の賛同者となりました。グローバル・コミュニティが持続的発展を目指すのと同様、企業や製品も長きに渡って成長しなければなりません。両者が大きな理念や価値観を共有する時、ブランドはその良きシンボルとなるのです。

 先に挙げたDoveのキャンペーンについても、国際環境NPOのGreenpeaceが「ユニリーバはDoveで女性の美意識と自尊心を応援すると言っておきながら、一方で熱帯雨林で環境破壊をしている企業からヤシ油を調達している」と批判していたことがあります。小さな地域の小さな会社、病院、レストランでも同様のことは起こります。企業や製品の社会における有用性、社会に存在することの正統性は、今後、ますます精査されていくでしょう。ブランドは製品のベネフィットや広告・PRの巧みさだけでなく、その背後でどのような意図を持ったどのような人々が運営しているのか、そして最終的に世の中の役に立っているのかどうか、そこまでの評価をシンボライズするものになっていくはずです。

1943年の奇跡

 売上げや市場シェアを競う時代は終わりました。2011年度の業績に基いてFortune誌が7月に発表した、グローバル500企業は米国132社、中国73社、日本68社、ドイツ32社、フランス32社、英国26社などとなっています。巨大国営企業を多数抱える中国はやがてアメリカをも凌駕する大企業集団となるでしょう。しかし、企業の価値が事業規模や営業利益などの財務指標だけで表されるのであれば、これらは大変意味のある数字でしょうが、企業に期待される価値が急変しつつある現在、「世界500強企業」などという謳い文句はもはや虚しく響きます。そんなことより、誰がどのような動機や目的で行なっていて、その事業体や製品は何のために存在し、何の役に立っているのかを社会と共有することの方がはるかに重要です。

 グローバル市場の消費者は、製品やサービスの背後にある企業、それを経営する人々の意図を直視しています。その社会的正統性が認められて初めて、企業は事業を運営して適正な利益を上げることが許されます。そして、その利益は事業と社会の両方の持続的発展のために再投資され、より良い未来の創造に貢献する。ブランドはそのような「社会性とビジネスの融合」のシンボルとなっていくのです。

 米Johnson & Johnson社は有名な「Our Credo」(私たちの信条)という、ミッションステートメントを持っています。誰のために何を行い、結果として何を達成したいのかを簡潔かつ雄弁に宣言したこのステートメントには、企業の社会的正統性を打ち立てるための要素が、お客様、取引先、従業員とその家族、コミュニティ、環境や資源、株主などすべてのステークホルダーに対する約束という形で表現されています。是非、同社の企業サイトでご一読ください。現代に生きる我々が読んでも感服するしかないこのステートメントは、Johnson & Johnson社の創業二代目社長により1943年に書かれたものです。