民営企業とイノベーション

 中国の民営企業発展のブームは、「改革の総設計師」と言われる鄧小平氏の指示により、深せん市をはじめとする珠海、汕頭、廈門の4都市が初の「経済特区」に指定された1979年から始まった。

 鄧小平氏は、「石を探りながら河を渡る」「白猫黒猫論(白い猫でも黒い猫でもネズミをとれる猫は良い猫だ)」など有名な持論を展開した。これにより、社会主義で制限された政策や意識に大きな変化がもたらされた。鄧小平氏の大胆な発言は、当時、中国で大きな反響を呼び、全国各地から人材が深せんに集まった。深せんは、その後、急速に発展し、「移民の都市」「チャイニーズ・ドリームの都市」とも呼ばれるようになっていった。

 国からより高い自由度を与えられていた深せんは、起業を重んずる風潮が中国のどこよりも強い土地となった。そこには無名の零細企業や中小企業が数えられないほど存在する。その中には、深せんでゼロから事業をスタートし、巨大企業へと成長した民営会社も少なくない。例えば、通信設備のHuawei Technologies社(華為)、インターネット・サービスのTencent Holdings社(騰迅)、自動車のBYD社(比亜迪)など多くの著名な企業が生まれた。Huawei Technologies社は既にフォーチュン500強にランクインされている。

 鄧小平氏は、「石を探りながら河を渡る」「白猫黒猫論」という誰もが分かる言葉を使って中国における社会イノベーションを呼びかけ、中国を、市場経済による高度成長の軌道に乗せた。

1980年代:家電、情報技術(IT)ハードメーカー創業の旺盛期。 現在、世界的に知られるHuawei Technologies社、Lenovo社(聯想)、TCL社、Haierグループ(海爾)などはこの時期に創業された。

1990年代:インターネットの普及で、sina.com、sohu.com、tencent.comなどが創業された。また、自動車と太陽電池などの分野でも多くの企業が誕生した。その中では、Geely Automobile社(吉利汽車)、BYD社、Suntech Power社が世界的に有名である。

 中国では市場主義経済化が進むにつれて、民営企業は大きな勢いで力を伸ばしている。世界で知られる中国のハイテク産業を代表する企業は、実はほとんどが民営企業である。以下に、自動車業界を例に説明しよう。

 フォーチュン500に入ったFirst Automobile Works Group社(第一汽車)は、1950年代に設立された最初の国有大手自動車会社である。政府からの手厚い支援を受けており規模は大きい。だが、海外の大手自動車会社との技術提携に依存しており、グローバルの競争力を十分備えているかどうかの疑問がある。

 一方、米Ford Motor社傘下の高級車メーカーであるスウェーデンVolvo Car社を買収した吉利汽車と、電気自動車(EV)で世界に有名なBYD社は、第一汽車と違って政府から手厚い支援を受けることなく競争の中で身を起こした。吉利とBYD社は後発にもかかわらず、数多くの中国初の技術と商品を生み出した。吉利は今年フォーチュン500にランクインされた5社の民営企業のうちの1つであり、第一汽車もランクインされたが、それぞれの中身は違うだろう。

 しかし、21世紀に入ってから、そのようなレベルの企業の誕生は明らかに少なくなった。その背景には、「国進民退」という現象があったという。