そんなこんなで赤ちょうちん。今夜のテーマは仕事の評価ですヨ。

 「確かに、俺たちは他の会社の給料は気にするけど、自分たち、同僚同士の給料を気にしてはいねえナァ。それが問題かもしれねえ。そう言えば、国会議員の給料が高いと言ってみたところで、それに何の意味があるのか、よく議論をしている訳ではないし。本当に問題なのは、報酬の多寡ではなく、議員の仕事ぶりを評価をして、その上で、議員定数が適正なのか、そこに問題があると思うのだが、結局は給料が高いという問題になっちまう。要するに、他人のフトコロだけが気になるてェ事かも知れねえ」。

 部長が自嘲気味に言いますヨ。

 「そうなんです。他人の懐、それが気になっているだけなのです。本質は、仕事の中身、そして、それに対する評価なのですが、言わせてもらえば、日本人は自分の評価は気にしないで、他人の給料というフトコロだけが気になっているのではないでしょうか。厳しい言い方ですが、評価と給料は連動するはずなのに、同僚同士はあいまいに、他人には厳しく、しかも給料の多寡だけを論じているのではないでしょうか。もっと言いにくいことを言えば、自分のことを他人がどう見ているのか、それに鈍感なのですよ、社員も、会社も、社会も、国も、みんな同じことが言えるのではないでしょうか。共産党が指導する中国の私がこんなことを言うのも変ですが、今の日本で一番おかしく、ある意味でもったいないと思うのは、公務員の給与が一律に決まるということではないでしょうか。採用時の学歴でほとんど決まるポストもそうですが、何が一番もったいないかと言いますと、評価をしないことで、できる人材が、段々、仕事をしなくなっていくことではないでしょうか。中には、そうではない人もいるかもしれませんが、やってもやらなくても同じという、そんなバカな仕組みの中に留まるなんて、そこに意義を見いだすことは容易なことではありません。ですから、そのうちにバカらしくなって辞めてしまうか、もしくは諦めて何もしなくなるか、そのどちらかだと思うのです」。

 今夜の欧陽春くん、キリっとしていますヨ。

 お局が、「欧陽春くん、よくぞ言ってくれたわ。そうなのよ、この国は、身内に甘いのよ。組織も社会も、ひいては国のレベルでも、他国が日本という国をどう見ているのか、気にしてこなかったのよ。だけど、もうそろそろしっかりと主張しないと、いけない時期に来ているのではないかしら。ずっと誇っていた国内総生産が中国に追い越され、技術では勝ってもビジネスで負けている現状。それは、単にGDPという数字を競うあまり、仕事の中身を見なかったということではないかしら。他人のフトコロを気にしながら、結局は自分たちはナアナアの世界にどっぷりと浸かっていただけのことよ。政治の世界も同じこと。自分の思うようにならないからと言って、国民の生活が一番、国民のためにと言いながら、結局は、タダの政局(政治の主導権争い)じゃない。しかも、そんな人に黙ってゾロゾロと付いていく人たちに、復興をどうしたらいいか、国をどうしよう、そんな気持ちのカケラも見えやしない。もう、情けないったらありゃしないわよォ!」。

 「お局、手厳しいなあ。しかし確かに、俺たちはナアナアで生きてきたのかもしれねえ。それは、別の視点で言えば、この国は本当に平和だったてェことサ。戦争さえしなければ、ちゃんと成長することができると、国民の気持ちの中に甘えに似た期待があったのかもしれねえな。そしていつの間にか、そんな平和を求める感情が、同僚同士の評価さえもあいまいにして、皆で平和にやっていれば何とかなると考えるようになったのサ。だから、周りが変わったのに気が付かないまま、取り残されるように弱体化しちまったという訳よ。情けねえナァ…」。

 今夜の部長、いつになく弱気です。しかし、部長の不安、分かりますヨ。この国の迷走ぶり、外国から見れば、笑うしかないのでしょうヨ。

 突然、「さあ、ションボリしないで、一気に飲みましょう! 元気を出して、頑張りましょう! ボクも、もう他の人の給料を気にしないで、同僚の給料を気にして頑張ります! 自分の評価がどうなっているか、それを気にして、一生懸命やります! ねえ、先輩!」と、アスパラが叫びます。

 そこでお局が、「アスパラ、アンタの評価はアタシがするの。いい、アタシがするのよ。なのに、そのアタシの目の前で、ねえ、先輩って、アンタ、何様?」。

 これには一同大笑い。最後の締めは部長です。

 「イイじゃないかお局。いくらこんなドジをしたところで、これ以上、評価は落ちないだろうに。だからアスパラ、存分にやるがいいサ。これが本当のダメモトってやつだぜェ」。

 今夜はこれでご免こうむり。おやすみなさい…。