欧陽春くんも参入です。

 「アスパラくん、実は、中国で給料の高い安いは大問題です。それは実に明快なことでして、給料が全ての評価基準だからです。今、その時点での評価、それはただただ、給料としてのみ反映されることなのです。ですから、日本のように、年功序列的な給与体系なんて絶対にあり得ないことなのです。ズバリ、給料という評価が全て、それだけなのです。ですから、同じ会社の社員同士の比較、それが大問題なんです。同じマニュアルで同じ業務なら給料は同じでもいいのですが、もしも違うなら、その理由は何か、きちんとした説明がないと、それは正当な評価が行われていないこととなり、大問題どころか、直ぐにストライキの対象となるのです」。

 う~ん、欧陽春くん、これは本質です。さらに…。

 「言わせてもらうと、日本のサラリーマン諸氏は、中国とは逆で、同じ会社の社員同士の給料の高い安いを、あまり問題にしていないように思います。それは、同期の社員の給料はほとんど同じ。余程のことがない限り、給料の差は無いからではないでしょうか。アスパラくんの言うように、他の会社の社長の給料を気にするのは、自分たちは同じなので比較しても始まらないけど、うっ憤晴らしも含めて、社長の給料にケチを付けているような気がします。本当は、同僚の給料を気にしなくてはいけないのですよ」。

 部長も、「う~ん、確かに、欧陽春くんの言う通りかもしれないなあ。俺たちは、入社が同期なら、ほとんど同じような昇給制度に乗って、それが当たり前だと思っていたしナァ。若い頃、ガンガンやっていた頃には、少しは差があってもいいのではと思う時期もあったけど、まあ、平和にやればそれでいい、自分の仕事に集中しようと思って、気にならなくなっちまった。しかし、いま考えれば、それはやってもやらなくても同じ評価であるという一種のアキラメ、言い換えれば、気持ちの逃げ道だったのかもしれないナァ」。

 そうです。本音は、やったらやっただけの評価が欲しい、しかし、できなかったら、その時は見逃してくれ、そんな気持ちの裏返しだったのかもしれませんヨ。

 「そうよねェ。アタシの父はずうっと外資系の会社だったから、それはもう過酷とも言える評価が当たり前の世界にいたわ。自分に対する評価が厳しい時は、次は絶対にリベンジするぞと、いつも評価と向き合い、それと戦っていたのよ。今、こうやってあらためて考えると、父だけではなく、世界的に見れば、それが当たり前の方が多いような気がする」。

 確かに、今の日本の現状は、やってもやらなくても分からないような、あいまいな評価制度に問題があるのかもしれません。それは、チームワークを優先するあまり、個人の成果にしっかりと向き合い、公正かつ厳粛に評価するという姿勢が欠けていたということでしょうか。アタシたちは知らず知らずに、仕事の評価まで互助会的な仕組みにどっぷりと浸かっていたのですヨ。