問題はソフトウエアのバグだった。問題はCESでの展示が終わってからは直ぐに解決できたのであるが、大事を取ってCES開催中はそのまま展示を進めることにした。40分ごとに大崎にあるベースステーションとラスベガスにある表示部を立ち上げなおすことにした。CESの開催期間中、日本(大崎)では部下たちが夜中に対応することで大きな問題もなく展示をやり遂げられたのだった。

 CESの展示は大成功であり、数多くの来場者が訪れた他、国内外のテレビ局やマスコミの取材を受け紹介していただいたのだった。CESのAwardを受賞するなど、中途半端な状況で分断されたエアボード部隊の復活劇の始まりとなった。

 2004年1月19日には、ロケーション・フリーをうたう新エアボード「LF-X1」のプレス発表を、銀座ソニービルで実施したのである。エアボードの発表時に負けないくらい数多くの報道陣に来場いただいた。このときに感じたことは、「苦難を乗り越えてここまで来た」という思いもあったが、「メディアも日本から新商品が出ることを率直に喜んでいる」ということであった。

新エアボードを国内でも発表
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 こうして2004年4月1日に、世界初となるロケーション・フリー・テレビの発売にこぎ着けたのである。理不尽ともいえる開発部隊の解体からエアボードの話題を少しずつではあるが提供し続けたこと、なおかつ、開発メンバー全員がやり遂げるという高い志を持って進めてきたことが、このような結果につながったといえる。

 国内でのプレス発表後、部下たちに伝えたことは大きく二つだ。「何かを成し遂げるときは必ず壁が立ちはだかるが、あきらめないで作れば必ず成し遂げられる」。そして、「人が作らないことをやるときに苦労は付き物、その苦労を跳ねのけてやってきた経験のある人間と、そうでない人間とは必ず後で大きな差が出てくる。これを忘れないで作ってほしい」という言葉だ。

 この後も苦労は続くのであるが、LF-X1の開発は、エアボード部隊の解体という間違った経営判断に立ち向かって開発を成し遂げたことを証明した一つの例といえるだろう。このような間違った判断がいまだに続いていることが、日本の家電業界の凋落の大きな原因といえるのではないだろうか?

 新たな一歩を踏み出したエアボードであるが、今後、さらに開発メンバーの意気込みが新たな展開につながっていく。これは次回以降に述べていきたい。