(1)ブロードバンド・インターネット網を介して、家の中だけでなく、世界中のどこからでも自宅のテレビや録画番組を見ることができる“真のロケーション・フリー・テレビ”を作ること。世界初の商品であり、プレス発表も盛大に実施するので、それまではエアボードの開発時と同様、部外には一切口外しないこと。
(2)発売時期は、1年半後となる2004年春。
(3)テレビとしての画質をさらに高めること。
(4)12型の液晶パネルを搭載すること(部下からは7型くらいに小型化したいとの意見もあったが、まずはテレビなのだから12型とした)。
(5)HNC内のシンフォニー・プロジェクトではエアボードを開発しないので、このままでは消えてしまう。新製品の発売までの約1年半、多くのリソースはかけられないが、知恵を出してエアボードの話題を提供していく。

 この日をもって、旧エアボード部隊は少なくなったものの再スタートを切った。このときの部下たちの生き生きとした目は忘れられなく、今でも鮮明に残っている。ロケーション・フリー・テレビに向かって大きく動き始めたのだ。全員のモチベーションは高く、多くの業務を積極的にこなすことを約束してくれたのである。

まずはエアボードを話題提供

 LFXプロジェクトでまず手掛けたのが、先の(5)に関連したエアボードの話題を提供することである。その一つが、ソニーの関連会社で、コンテンツ配信を手掛けるエー・アイ・アイ(AII)が運営するネットワーク対応の囲碁ゲーム「GO-NET a」への対応である。これは、元ソニー取締役で現在のソネットコミュニケーションネットワークを創業されたかつての上司が、「エアボードを潰してはいけない」との思いで持ってきていただいたアイデアだった。JAVAで組んだ専用ソフトウエアを格納したメモリースティックを、エアボード本体に差し込むことで利用できるものだった。

 ソニー時代、いつもそうだったが、新しいことをやるときに苦労は付き物だったが、社内外の先輩や仲間がいつも応援してくれた。これは、こちらが責任を背負ってあきらめることなく、相手に必ず何か新しいモノを与えられたからだろう。

 エアボードのハードウエアそのものの変更はまったく必要ないため、4カ月後には完成し、2003年1月にプレス発表を“投げ込み”で行った。ソニーの広報も、こちらの意図を十分理解をしてくれて、プレス発表などマスコミ対応を惜しみなく協力してくれたのである。

 ソニーで多くの新商品を発表した経験から思うことだが、当時のソニーの広報は本当にプロフェッショナルだと感心したものだ。広報には、社外から会社がどのように見えているかを他の誰よりも理解している人が多い。常に縁の下の力持ちでマスコミとの関係を大事にし、同時に広告塔を作る戦略を練ってくれていた。加えて、マスコミも新商品が出ることは率直に喜んでいただけるところが多く、後述するLモード対応機などを含めて、常に我々に興味を持ち、記事化していただいた。

 囲碁ゲーム対応のエアボードは、シニア層などニッチ市場向けであるために数量は期待できないものの、話題性という意味では貢献できたと思う。AIIが販売するため、「手掛けるのはBtoB商品のみ」という安藤社長の指示に逆らうことにはならなかった。元から、BtoBだけというおかしな指示に従う気は毛頭なかったのであるが。

組織変更で本社直下から脱出に応援者