私自身、この若手プレジデントのことはよく知っている人物であり、就任に際して相談にも乗っていただけに、驚きを隠せなかった。抜擢されたことで張り切っていた面もあったのだろう。さまざまな議論を重ねていったのは言うまでもない。

 だが、パソコン事業しか経験のない若手プレジデントに、エアボードの商品価値は受け入れられるわけもなかった。先のメールの後、本人から謝りのメールが送られてきて、いったんは落ち着いたものの、結局は口出しが止まることはなかった。詳細は控えるが、米国市場への投入キャンセルなどエアボードにとってのネガティブな動きが激しくなり、こうした議論が半年も続いたのだった。新規市場を作るためのマーケティングや次期モデルの開発など、本来すべきことに集中できなかったのだ。

 紆余曲折の結果、プロジェクターや薄型テレビを手がける他のネットワークカンパニーへエアボード事業部は異動することになったのである。これにより、一瞬だけ静けさを取り戻し、マーケティングや開発に力を注ぐことができた。だが、このカンパニーは赤字を計上していたこともあり、エンジニアにとって幸せな日々は長くは続かなかった。

無意味な議論に終始

 しかし、それは束の間の話だった。先の組織変更で、すべての事業本部に「×××ネットワークカンパニー」と名付けたこともあり、世の中のブロードバンド化の流れに呼応する形で、過剰ともいえるネットワーク化の議論がなされるようになっていた。

 純粋に、次世代に向けて開発すべき商品像や技術を議論するのは良いことだが、具体的な商品像はないままに組織論だけが先行した感は否めない。しかも、一旗あげようという者も多かった。最終的には、社長だった安藤さん(当時・代表執行役社長 兼COOの安藤国威氏)の大号令の下、「シンフォニープロジェクト」と呼ぶ組織が誕生したのだった。ネットワーク機能を搭載する機器は、すべてこの組織で決めた規則・技術で動くことになった。

 安藤社長肝いりということもあり、シンフォニープロジェクトは「錦の御旗」のように大きな影響力を社内で持つことになる。エアボード事業部の属するネットワークカンパニーにもシンフォニーの下部組織が作られた。多数のメディアに取り上げられていたエアボードが、その矛先として最も影響を受けることになったのである。