米国のIT関連企業の関心も高かった。米Apple社のCEOだったSteve Jobs氏がソニーに携帯型オーディオの協業を提案するためにソニー本社を訪れたことがある。結局、交渉は平行線を辿り破談になったのだが、その会議の席で、Jobs氏は「エアボードは知っている。だが、それは後の話だ」と語ったのだった。このやり取りの一部は、日経エレクトロニクス2011年11月14日号の解説記事で触れているので、興味のある方は一読してほしい。

故Steve Jobs氏も認識
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 さらに、米Microsoft社のBill Gates氏が、出井さん(当時・代表取締役会長 兼CEOの出井伸之氏)と会談した際に、私の部下がエアボードの動作デモを披露したことがある。Gates氏自身、かなり興味を持ち「我々がやりたいことと90%同じだが、残りの10%が違う」と語ったと聞いた。余談になるが、残りの10%はOSにWindowsを用いていないことだったようだ。実際、Microsoft社がしばらくしてタブレット端末の構想を打ち出したことは、その証拠といえるだろう。なお、エアボードが採用していたOSは、当時組み込み向けで地位を築いていた「VxWorks」であった。

 当時、エアボードは国内市場でうまくいっていた訳ではなかった。一方で、こうした盛り上がりを考えると、米国市場への投入は“待ったなし”の状況だった。今になって振り返ると、米国人は新しい物好きが多く、日本よりも住環境が広いことを考えると、米国市場への投入を優先すべきだったのかもしれない。

組織変更で若手を抜粋

 さて、そろそろ今回の本題である、2001年4月1日にソニー内で実施された組織変更の話に移ろう。この組織変更では、ネットワークカンパニーと称した七つの事業本部を、その直下には事業本部と事業部の中間に当たるディビジョンカンパニーが設立された。さらに、ネットワークカンパニーとディビジョンカンパニー共に新任となるプレジデントが数多く抜擢されたのだった。

 エアボードの事業部は、ホームネットワークカンパニー(HNC)中の1ディビジョンカンパニー内に組み込まれた。これにより、最大の後ろ盾といえる高篠さん(当時・執行役員専務の高篠静雄氏)がブロードバンドソリューションネットワークカンパニーのNCプレジデントに就任され、別部門になってしまった。エアボードが発売されて4ヵ月後という、まだこれからのタイミングで、一気に内向きの力が働くことになったのだった。

 この組織変更こそ、ソニーが凋落する大きな要因につながったと私は考えている。ディビジョンカンパニーそのものは、将来の分社化を視野に入れ、ソニー本社が各カンパニーの株主という体裁を整えようとしたものだったと記憶している。だが、結果はこれまでの事業本部制と大差ない中途半端なものであり、結果は失敗だった。