前回の連載で述べたように、2000年12月1日に世界初の無線テレビとして華々しいスタートを飾った「エアボード」。だが、新しいコンセプトの商品ということもあり、反響の大きさに対しては苦戦が続いていた。

 こうした状況下に追い討ちをかけたのが、エアボード発売から4カ月後となる2001年4月1日にソニー内で実施された大きな組織変更だった。これにより、さらに内向きの力が働く結果に陥った。この組織変更から見て取れる現象が、現在、ソニーが凋落する一端になったのではと考えられる。

人事や総務も支援

図1 販売には苦戦した、エアボードの第1弾製品
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 組織変更によるエアボードの開発・販売への影響について述べる前に、前号で伝えきれなかった重要なことがいくつかある。まずはこれらを紹介したい。

 エアボードの発売に漕ぎ着けたことは、ソニー社員の並々ならぬ努力と、ホームネットワークカンパニーでプレジデントを務めていた高篠さん(当時・執行役員専務の高篠静雄氏)などトップの支援によるものだったことは言うまでもない。これに加えて、人事や総務といった管理部門の若い人たちにも応援してもらったことも記しておきたい。彼らは、発売日に自主的にエアボードの空箱を持って山手線に乗ってくれたのだ。つまり、宣伝にひと役買ってくれたわけだ。

 これは、エアボードの設計者だけでなく、新しいモノを生み出すというイメージのソニーに入社した人たちが、それまで存在しない商品の市場創造に少しでも貢献したいという気持ちの表れからであったといえる。それだけ、世界初の無線テレビであるエアボードの発売には、多くの人たちが感動して絡んでくれたのである。

海外での評判も上々

 エアボードの国内販売は2000年12月1日だったが、もちろん海外展開を考えていたことも記しておきたい。2001年1月に米国ラスベガスで開催された「2001 International CES」に出展し、前年に開催された「CEATEC JAPAN」と同様に、ソニー・ブースの目玉として大きな話題を集めた。さらには、ソニー商品を扱ってくれている「ソニーショップ」を対象にした個別展示を実施した。

 米国市場での反応は日本以上に高く、「すぐにでも取り扱いたい」という顧客がひっきりなしに訪れた。世界初の商品として、米国の営業部門のモチベーションも最高潮に達した状況だったのだ。そのときのメールのやりとりを読み返してみると、価格についても日本とは異なり「想像したよりも安い」というイメージを持たれていたのである。

前田 悟(まえだ さとる)
エムジェイアイ 代表取締役
1973年、ソニー入社。電話回線を介して情報をやりとりするビデオテックスやコードレス電話機などの新商品の企画・開発に携わる。世界初の無線テレビ「エアボード」や遠隔地からテレビ番組を楽しめる「ロケーションフリー」などを開発。2007年にケンウッドに移籍し、2008年にJVC・ケンウッド・ホールディングス執行役員常務。2011年6月に退任。エムジェイアイ株式会社設立、製品企画・経営コンサルタントを行う傍ら、複数企業の社外役員・アドバイザーも務める。 Twitterアカウント:@maedasatoru