米Apple社前CEOのSteve Jobs氏が亡くなってから、数多くの「ジョブズ本」が世に出ました。残念ながらその多くは、Jobs氏を神のようにあがめたものか、逆にその人格をこき下ろしたものでした。それらとは一線を画し、時には失敗もする人間味あふれたJobs氏の姿を伝える本に、ようやく巡り合えました。
本書は、クリエイティブ・ディレクターとしてApple社の広告キャンペーンを数多く手掛けたKen Segall(ケン・シーガル)氏の著書。あの「Think Different」キャンペーンを主導した、知る人ぞ知る人物です。Jobs氏との秘話を交えつつ、Apple社を貫く「Simple(シンプル)」という哲学について解説しています。
本書で痛感したのは、シンプルさという価値を貫くために、製品を世に問う前、Jobs氏らがいかに膨大な議論を重ねたかです。こんなエピソードが明かされています。かつて倒産の危機にあったApple社にとって、復活の起点となった1998年発売の「iMac」。その名称としてJobs氏は当初、自らが考えた「MacMan(マックマン)」にこだわっていた。Segall氏らが「iMac」という案をいくら推しても、Jobs氏は首を縦に振らない。それでも、議論に議論を重ねて、結局はJobs氏もiMacという極めてシンプルな名前の良さを認めます。この決断はその後の「i」シリーズの布石になりました。
Apple社の強さの源泉は、このように、信じた価値を貫くための労力を惜しまないこと。Jobs氏が自ら語っています。「シンプルであることは、複雑であることよりも難しい。だが、ひとたびそこに到達できれば山をも動かせる」と。
シンプルさの追求にはリスクも伴います。iMac発売時、Apple社は製品ラインを四つに絞りました。モデル数を減らせば、残した製品がヒットしなかったときの打撃は大きい。同社はそのリスクを引き受け、自らが信じる製品に賭けたのです。
逆に、リスクにひたすらおびえているのが、今の日本の家電メーカーなのかもしれません。「数撃てば当たる」式にモデル数を増やしている企業が目立ちます。その結果、経営者や社員が自社製品に愛着を感じられなくなっていないでしょうか。
本書はそうした日本メーカーにとって、希望の書でもあります。倒産の危機にあった企業が、わずか15年で大復活を遂げた。その舞台裏の物語でもあるのですから。
(談、聞き手は大下淳一)